良きライダーとか何か──。
この答えをずっと探しています。
無事故無違反であることでしょうか。
それはもちろん大事なことですが、それだけを欲するのならば、そもそも走りに出なければいいだけの話になります。
それとも、ただ楽しければいいのか。
気楽さを求め、走りたい道だけ走っていくのは簡単です。
でも、それでは成長出来ないのでは?
でも、成長って何のために? そうやって成長した先には何がある? そして私はどうなりたい?
それに、ライダーとして成長したとして、仕事や主婦業が枷となり、その後活かす機会があるのかどうかも分かりません。
活かせないのならば、割り切って『楽しいツーリング』のみをやっていっても構わないのではないか。
そんなことをグルグル考え、どうあるべきなのか頭を悩ませていたのです。
Sさんに上記質問をぶつけ、絡んでしまったりもしました。
『その答えは、探し続けるしかないんだと思いますよ』
Sさんの返しにハッとします。
そして彼が何年もかけて模索してきた答えを、たった一言で聞き出そうとしていた自分を恥ずかしく思いました。
探し続けるしかない──。
ならば今一度、原点に立ち返ってみようと決めたのです。
私にとっての原点。
それはやはり、初めてバイクに乗った、あの時のこととなるでしょう↓
https://qmomiji.hatenablog.com/entry/2019/10/04/101428
二輪教習に通う前、クロスカブを借りて運転しました。あの経験がなければ、今もバイクには乗っていなかったと思います。
あの日のルートを辿ってみて、じっくり考えようと思ったのです。
土曜日の都内ツーリングから戻った夜、Sさんへの帰還報告と共に切り出します。
『無事に帰りました〜。そして明日は、原点に返ってみようと思う』
『お疲れ様です。それは…教習所に殴り込みにでも行くんですか?』
『するかっ』
しかも、なんで見学とかじゃなく殴り込みなのか。
『いや、初めてバイクに乗った時のことを思い出そうかと。クロスカブで走ったルートを、明日走ってみようと思って』
『あぁ、いいんじゃないですか?』
『ただ困ったことに、ルートをほとんど覚えてないのよね』
あの頃は、今よりずっと行動範囲が狭く、土地勘もありませんでした。走った道を覚えていくだなんて、考えたことすらなかったのです。
そうじゃなくとも、初めてのバイク運転にいっぱいいっぱいでした。
Sさんから、あの時走ったルートを大体教えて貰います。
そして日曜日。
私は湘南海沿いを東方面へと走らせて行きます。
すっかり走り慣れた道となりましたが、ここを最初に走った時には刺激的だったなぁと懐かしく思い出します。
あたたかな陽気に恵まれたとはいえ、真冬の気温のためかビーチはひっそりとしていました。
穏やかな道をゆったりと流して行きます。
私はセローの走りに陶然としました。
実は昨日のツーリングでは、少しだけセローの感触に違和感があり、走りを存分に楽しめなかったのです。
家に帰り洗車をして、チェーンにまだ砂が噛んでいることが判明しました。
前回の、砂浜バイク引き起こし練習で、砂が入り込んだのでしょう。すぐに洗車をしたのですが、暗い中でやったため、落としきれていなかったようです。
2時間かけて洗車とチェーン掃除をしました。
そのため、今日のセローは滑らかで爽快な走りをしてくれています。そしてセローの僅かな変化に自分で気付き、ケア出来たことを嬉しく思いました。
鎌倉市に入り、クロスカブを借りた『材木座テラス』の前を通り過ぎます。
あの歩道で一時間、バイクの乗り方を教えて貰ったんだなぁと、懐かしく思い出しながら通過しました。
134号線を逸れ、海沿いの小道へと入って行きます。
そこはSさんがそうとは知らずに入り込み、あまりに景色がいいのでクロスカブを停めて写真を撮った場所でした。
今度はセローの写真を撮りたいと思ったのです。
遥か向こう側に雪を被った富士山が見えました。
そうやって写真撮影していると、後ろから乗用車が来たので、セローを移動させます。
ですが、その車も道端に停車し、家族連れが降りて来るや写真撮影をし始めたたのです。
「ホント綺麗だね〜。静かだし。お父さん、よくこんな所知ってたね」
お父さん、と呼ばれた男性が得意げに応えます。
「だろ? ここは絶好の穴場スポットなんだよ」
そして幼児を抱っこした写真を何枚か撮っていたのですが、
「あ、すみませ〜ん」
男性が私に声を掛けてきます。
「ちょっと、写真撮って貰ってもいいですか?」
「あ、はい。構いませんよ」
私は和やかに笑い合うファミリーの写真を撮りました。
「ありがとうございます。あ、あなたも写真に撮りましょうか?」
聞いてくれましたが、私は遠慮しました。
「いえ、私は景色とバイクが撮れればそれで満足なので。ありがとうございます」
男性が釈然としない表情をしていました。
その家族連れがそこを去った後も、しばらくそこにいて潮風を浴びていました。
今のやり取りで、いくつかの発見があったのです。
あの頃、何も知らずにたまたま入り込んだこの小道は、実は知る人ぞ知る穴場スポットだったらしいこと。
地図にもナビにもそんなことは書かれていませんでした。まさに、入り込まなければ出会えなかったであろう場所。
迷い込んだ先でしか味わえない景色がある、とは、いつもSさんが言っていることです。
それに、景色とバイクが撮れればそれで満足、と聞いた時のあの男性の表情。
私は含み笑いしながら思い返します。
私もつい数ヶ月前まで、先程の男性と同じ気持ちでした。
何故Sさんのブログには景色とバイクの写真のみなのか、一緒に走った人の姿すらもなく、ただ並べられたバイクのみ撮ってあります。
自分がバイクに乗るまで、それがとても不思議でした。
今の男性も車で来ていましたが、車を撮ろうという発想には少しもなっていないようでした。
でも、これはライダーあるあるなのかもしれません。
楽しみたいのは、ただ、走りと景色とバイクなのです。
愛車をいかに綺麗にカッコよく撮るかに苦心はしますが、自分が写り込むことには興味がなくなっていくのでしょう。
いつの間にか私は、そんな感覚が自然と身に付いていたのでした。
道を走る、景色を堪能する、自分のバイクを愛する──。
シンプルなようでいて、少し前までの私には無縁だったそれらのことが、今や当たり前になっていることに、この時気付いたのでした。
抜けるほどの青さを放つ海上から冷たい風が吹き付け、私の髪を揺らして行きました。
真冬の気温、風を受けた皮膚はどんどん冷えて来ます。
でも私は、しばらくそこから動くことが出来ずにいたのです。