その木を見上げると、花弁を身にまとった枝たちが、天高く伸びていました。
青空に向けて広がる無数の花々が、風に揺られています。
「ここの桜の木、すっごく大きいよね…」
圧倒されながら私が言うと、「ですね」とSさんが応えます。
私が知っている一般的な桜の木よりも、ずっと背が高かったのです。
背丈だけではありません。
桜の枝が、カーテンのように足元にまで降りています。
「これ、剪定していない?…のかな」
普通、公園の桜は横に広がりすぎないよう、真横に伸び始めた枝を剪定してしまいます。だから大抵は花との距離が遠いのですが、ここの桜は自由に枝が伸ばされたままなのです。
その為、私の目線の高さにも沢山花が咲いていました。
見回すと、他の桜の木との距離も充分にあります。
枝はもちろん、土の下で木の根もぶつかり合わないように、充分なスペースが確保されているのでしょう。
木の一本一本が、のびのびしているように私には見えました。
大事にされているんだなぁ。
桜は、人の目を楽しませる為に花開かせているわけではありません。懸命に生きているだけなのでしょう。
ですが、人はそれ目的で桜の木を植えます。
人の生活の邪魔にならないよう、広がりすぎないように剪定され、窮屈に並べられてしまうのです。
ここの桜達も人により植えられ管理されているのでしょうが、とても自由に『生きて』いるように私には感じられました。
私もSさんもそこを立ち去り難く、座り込んでそれを暫く眺めます。
「あ、食べる?」
今日のお花見の為に、和菓子屋さんで買っておいたお菓子を差し出します。
本当はお弁当を広げたかったのですが、ご飯時ではなかったので、せめてと思い用意していたのです。
「あ、じゃあいただきます」
口の中で広がるほんのり甘いその和菓子を堪能しながら、しばらく砧公園の桜に見入りました。
Sさんが携帯画面を開き、次の目的地を考え始めます。
「どうします? 次は目黒川の桜並木を見に行きますか?」
「あ、うん。行きたい!」
目黒川の桜並木は、都内の有名な桜スポットです。
私が個人的に立てたお花見ツーリングでもルートに組んでいたのですが、結局それが実現することはなかったので、目にしたことはありませんでした。
バイクに跨り出発です。
ナビの案内に従い進むと、都道416号線『駒沢通り』という道路を走ることに。
「この道は俺も初めてです」
嬉しそうに声を上げるSさん。
都内には色々な通り名があり、その通りごとに特色があるのだと以前Sさんが言っていました。
片側一車線の静かなその通りを進み、いよいよ目黒川の桜並木です。
目黒川の河川敷両側に、桜の木が植えられています。川沿いを歩いても勿論お花見は出来るのですが、やっぱり両側に咲く桜たちを眺めたい、という人達がその橋の上、『中里橋』に集まっていました。
目黒川の桜並木はまだ満開ではありませんでした。それでも桜の本数が多いため迫力があり、見る人を惹き付けます。
バイクを停車させ、降車もヘルメットを脱ぐこともせず、バイクに跨った状態で写真を撮ります。
そのままでは良く見えなかったので、停車したセローのステップに立ち上がって撮りました。
「こういう時、オフ車はいいですよねぇ」
Sさんから言われて、ちょっと誇らし気な気分になりました。
あまり長時間いられる場所ではなさそうなので、すぐに移動します。
次なる目的地は、港区赤坂にある『ミッドタウン』。そのまま橋を渡り、新茶屋坂通りを進みます。
「うわぁ、お洒落な街並み〜」
「ここは何もかもが洗練されてますよね」
言いながら恵比寿や西麻布を走り抜けます。首都高の下を走りながら、六本木へ向かいました。
そろそろ日も暮れて来ます。
やがて到着したミッドタウン。
通りには桜がたくさん植えられており、毎年桜の季節になるとライトアップされるのだそうです。
今年は自粛のためライトアップはされておらず、街灯と月明かりのみでの鑑賞となりました。
そのためか、人はおろか車通りもほとんどありません。
私とSさんはバイクを停めて降車し、通りとバイクとの写真を撮ります。
黄昏時の桜並木を走り抜けます。
そして、本日最後の目的地へと向かいました。
「だいぶ寒くなって来ましたね」
「そうだねぇ」
日が沈むと一気に気温が下がりました。風も冷たく感じます。
一枚上着を重ねて、出発です。
ものの数分で到着した、『六本木アークヒルズ』。
ここも毎年のライトアップは自粛されていました。
そしてSさんから写真を見せてもらい、私が羨ましがった場所でもあります。
あの写真では、満開の桜がライトを浴びてピンク色に輝いていました。それが夜空に映え、ビルの明かりも相俟って最高に美しかったのです。
それを背景に佇んでいたSさんのバイクもまた、最高に格好良く見えました。
「どうですか?」
「うん…」
Sさんからこの景色の感想を求められましたが、正直私は曖昧に返事をすることしか出来ませんでした。
最初に見た、砧公園の桜が良すぎたのかもしれません。それと、まだ満開ではなかったからでしょうか。
でも、都内のネオン煌めく街中で桜を堪能するのなら、やっぱりライトがないと淋しいと感じたのです。
ここも、また来年かなぁ。
そう思い、アークヒルズの桜達に再会を誓ったのでした。
Sさんのインカムの充電が切れそうだったので、バイクを邪魔にならない場所へと移動させ、しばらく休憩です。
帰りのルートを検索しているSさんに、おずおずと話しかけます。
「あの…。トイレ行きたい」
そう、都内ツーリングをしていた時、もっとも困ったのがトイレ休憩でした。
都内のコンビニはビルの中にあり、駐車場がないところばかりなのです。
「トイレですか…」
若干困った顔をして色々調べていたSさんですが、それらしき施設が近くになかったのか、
「まだ我慢出来ますか?」
と聞いてきます。
「うん、まだ大丈夫〜」
とはいえ。
この後私がトイレに行けるまでに、1時間はかかったのでした。