そうやって私が細田高原の絶景に息をのんでいると、Sさんがお腹をさすりながら呻き始めました。
「おぉ…腹いてぇ…」
「え、ちょっ、大丈夫?」
トイレに行きたいと訴えます。
ですが、そこは大自然の中、トイレなどあろうはずがありません。
「さっきの駐車場にトイレがあったから、そこまで戻ろうよ」
「そうしますか」
「でも戻り方分かるかなぁ? 道が複雑だったし、なんか迷いそうだよね 」
とりあえず、バイクを方向転換させます。
が、凹凸や草むらにタイヤを取られて中々動かせません。
「セローが思うように動かない」
私が苦戦していると、
「大丈夫、万が一倒れちゃっても下が柔らかいので。また引き起こし練習が出来ます」
「もうええっちゅうねん」
でも確かに、下は柔らかい草むら。引き起こし練習にはもってこいの場所かもしれないと思いました。
「でも、今度また練習したいかも」
「セローを持ち上げられるレベルを目指しましょう」
「セローデッドリフト? いいねぇ。…って出来るか!」
そうこうしているうちに、無事セローを走行可能な位置まで運べたので、跨り出発です。
来た道とは別のルートで降りて行きます。
やはりひどい悪路に、この振動はSさんの体調的に大丈夫なのだろうかと心配になりながらも、またもはしゃぎながら走行しました。
道の端でヤギが草を食(は)んでいました。
野生のヤギかと一瞬ギョッとしたのですが、それはそのキャンプ場で飼われているヤギのようでした。
やがて駐車場まで戻って来たので、二人共トイレに行きます。
戻ると、先に出ていたSさんがベンチに横になっています。
ちょっといい眺めだなと思い写真を撮りました。
先程までの雪はどこへやら、快晴に戻っていました。
「大丈夫?具合悪い?」
「いえ、大丈夫です」
Sさんが身を起こしながら答えます。
「なら、ベンチプレスでもしてたの?」
私のボケを「違いますね」と軽く受け流し、携帯をいじって何やら調べ始めます。
「帰りのルートなんですが、来る時とは少しだけ違う道を走ろうと思います」
「うんうん。別の道を走れるのはいいねぇ。
あぁ〜でも、楽しかったなぁ。ここはパラダイスだね!」
「それはオフ車だからですよ」
Sさんが淡々と言い放ちます。
「俺は、バイクぶっ壊れるかと思いました」
そうして、帰路に就くべく出発です。
来た時同様の、穏やかないい道を走って行きます。
往路では135号線を直進しましたが、途中右折して県道109号線へと入ります。
この県道109号線も素敵な道でした。
Sさんオススメのルートです。
135号線より尚もっと海に近い場所を走ります。しかも、海の真隣にあるというのに、峠のようなワインディングが続きます。
寒くなってから、峠は凍結が怖くて走れなかったので、久々の走行に気分が高揚しました。
しかも抜け道となっているのか、さほどの混雑もしておらず、流れもスムーズです。
走行中、陽が沈んで来ます。
もう月が出ているようで、その気配は感じていました。
そして、何気なく海を見ます。
目を見張り、一旦前方に視線を戻してまた見やりました。
目が釘付けになるのを、なんとか堪えて視線を前へと戻します。
間違いありません。
海の真上に浮かんでいた月は、鮮やかなまでの満月だったのです。
今日が満月だなんて、全く知りませんでした。しかも、雲ひとつない空。
私と月とを阻むものは何一つありません。
もうひとつ。
満月はこれまで何度も見てきました。でも、今見ているこの月は、驚くほどに大きかったのです。
何故そう見えたのかは分かりません。
街中で見るのと違い、視界を狭めるものが何一つないからそう見えたのか、ちょっとした光の屈折だったのか。
なににせよ、大きく美しいその月に、呑まれるほどに魅了されながら、海沿いのワインディングロードを走って行きます。
135号線に戻り、ひたすら北上します。
少しだけ風が冷たくなってきました。
やがて1号線に戻り、街中走行となります。陽が完全に沈んでしまうと、やはり明るい街中が落ち着きます。豊かな光量にホッとするのです。
「今日は中々、バラエティー豊かなツーリングになりましたね」
「ホントだねえ」
『反省会』は、それぞれの帰りルートの、分岐地点手前で行いました。
「天気も良かったし、おまけに満月だし。やっぱ持ってるわぁ、俺」
「ん〜、いつもなら同意するところだけど、今日『持っていた』のは私の方じゃない?」
というのも、Sさんは信じられないくらいの晴れ男で、ツーリングの先々で絶景を目にしているのです。
雨予報で出かけても青空になったり、台風到来の日に午前中だけの予定でツーリングに出ても、結局丸一日満喫出来てしまったこともありました。
富士麓ツーリングで雲ひとつなく富士山を見ることが出来たのも、彼のお陰なのだろうと思っています。
ですが、今日ばかりは私の幸運なのだと信じたいのです。
「だってほら、今日私、誕生日だし」
「えっ、そうなんですか?」
「なんで知らないのよっ!?」
Sさんが心底驚いた様子で聞き返したことに、私もビックリしました。
誕生日が彼の一日遅れということは、知り合った当初から話題にしていましたし、先日もそのやり取りがあったばかりです。
昨日Sさんにおめでとうメッセージを送ったので、知っているものとばかり思っていました。
でもまぁ、そんなものなのかもしれません。
「あ、おめでとうございます」
「あざまーす」
Sさんのセリフに棒読みで応じたあと、笑い出してしまいました。
少なくとも、今日一日腹痛に悩まされていたSさんよりも、私の方がずっと、今日という日を楽しめたのではないかと思ったのです。
今ここに、ロウソクの立てられたホールケーキはありません。
ご馳走も、乾杯用のドリンクも、プレゼントやバースデーソングさえも。誕生祝いらしいことは一切ないのです。
だけど、今日が今までで一番素敵な誕生日でした。
真っ青な空と海、ピンク色の河津桜、ワクワクするほどのオフロード、舞い降りる雪。
そして。目と心を釘付けにした、太平洋を照らす大きな大きなまん丸の月。
Sさんとの走りはとても為になり、かつ刺激的でした。
これが最高と言わずして何といえましょう?
いつからか、誕生日を迎える度に思っていました。
これから年月を経るごとに、『若さ』はどんどん失われていくのでしょう。年々、肌の張り艶はなくなりますし、体力だって落ちていきます。
それは誰にも止めることは出来ませんし、皆に等しく訪れることでもあります。
でも私はそのことを、恥じたり落ち込んだりしたくはありません。
人は重ねた年齢の分だけ、多くのことを経験し、日々成長していける。そう信じています。
歳を取っていくことを、死ぬ間際まで誇りに思える自分でありたい。
その為には、新たなことに挑戦し続け、様々なことを経験し、都度そこから学び取っていかなければいけません。
私には幸運にも、セローがいます。
何かに挑戦し続けるには、最高の相棒です。
今年の誕生日が今までで一番だったのなら、来年はもっと、再来年は更にもっとと、年々『最高』を更新し続けていきたいと思いました。
そして。
「私、今日のツーリングで自分の方向性が定まったかも」
「それは良かったです」
春から、とある挑戦を始めようと決意しました。
今はそれに向けての修行に徹するべきだとも。
「修行に、協力してもらってもいい?」
「いいですよ、もちろん」
「ありがとう」
その先に何があるのか。やり遂げた先には何が見えるのか。それはやってみないと分かりません。
でも始める前と後とでは、きっと色んなことが違って見えるのでしょう。
私は私の花を咲かせていきたいです。
──樹齢何十年、何百年もの大木が毎年冬を超え、春に花開かせているように。
今回の記事の、Sさん視点のブログはこちら↓
http://zekkei-tabirepo.hatenablog.com/entry/2020/02/15/211429