伊東マリンタウンを後にすると、135号線をひたすら南下します。
あれほど多くいた他のバイク達はほぼいなくなり、Sさんとのゆったりとした走行が出来ました。
次第に気温も上がってきて、冬用のウエアが暑くなってきます。
「伊豆はあたたかいですね」
「だねぇ。のどかだなぁ」
相変わらずインカムを持っていないので、信号で横並びになる度そんな会話を交わします。
伊豆の良さは、この魅惑的な道と穏やかな気候なのかもしれません。バイク乗りの聖地とまで言われている理由がよく分かりました。
やがて東伊豆に入った辺りで、木にピンク色の花が見られるようになります。
「わぉ」
小さく声が漏れます。
桜です。
まだ5分咲にも満たないささやかな咲き方でしたが、それでも桜の花というものは人の心を鷲掴みにします。
河津桜への期待が高まっていくのを感じながらセローを進めました。
河津に入り、人通りも多くなるや、いよいよ桜並木に差し掛かります。
そして。
急に世界が変わったように、華やかな色彩が広がり始めたのです。
まだ真冬の気温、動物達だって冬眠から目を覚ましていないであろうこの時期に、河津の桜は見事に花を開かせていました。
桜並木にはやはり人が歩いていたため、私とSさんはバイクから降り、引いて歩きました。
道端の木々がピンクの花弁を揺らめかせている通りを、汗をかきながらセローを運んで歩きます。
普段、そこまでセローを引いて歩かないので、少しだけしんどかったです。
桜の木の下にセローを停め、写真を撮ります。
セローと桜の組み合わせに、思わずうっとりしてしまいました。
Sさんの、「よし、撤収!」という掛け声で再びバイクを運び、そこを後にします。
まだ満開でなかったとはいえ、なんせ人が多かったのです。ゆっくりと堪能出来る空気ではありませんでした。
どこかにバイクを停めて河津桜の並木道をもっとゆっくり見るかと聞かれましたが、『桜を見る』という目的は果たしたので、ううん、もういいよと答えたのです。
一旦バイクを停車させ、次なる目的地に向けて作戦会議です。
「細野高原を見てみたいんですよね」
「うんうん」
と。相槌だけは元気に打ったものの、それがどういう場所なのか、さっぱり分かっていませんでした。
普段、ソロで走る時には入念に下調べをするのですが、Sさんと一緒の時には完全に任せてしまっています。
「ここから30分くらいで着くみたいです」
Sさんがルートを調べながら言います。
「細野高原って、ここへ来る途中、標識出してたとこだよね?」
私が言うと、
「そうですね。そこから曲がれば行けるみたいです」
でもSさんは念の為、曲がる場所の目印を覚えこんでいました。
「ところで、お腹は大丈夫?」
「痛いっすね」
「痛いんかいっ」
高原とやらに行っている場合なんでしょうか。
「大丈夫? 薬かなんか買って来ようか」
「いや、多分ただの食べ過ぎ飲み過ぎなんで。大丈夫です」
「ああ…」
なるほど、と納得しました。
実は昨日がSさんの誕生日だったのです。何かしらのお祝いがあったのかもしれません。
細野高原への道は、オフロードバイク乗りのテンションを上げさせてくれる、魅惑的ないい道でした。
標識の案内通りに左折し、しばらく進むと途端に道幅が狭くなりました。
峠道と見紛うばかりの急カーブが続くや、更に道幅が狭まってきます。
両側に木々が生い茂り、なんだか空の雲行きまでもが怪しくなってきました。
車どころか、バイク同士ですらすれ違うのがやっとくらいの道幅になるや、Sさんが停止して「こっちで合ってるのかなぁ?」と現在地を確認していたくらいです。
細く入り組んだ道。しかもひび割れてガタガタになった舗装路です。いつになくワクワクしてしまいます。
セローの興奮が伝わって来るからでしょうか。
細野高原がどんな場所なのかをまだ知らないうちから、気分が高揚してきます。
やがてキャンプ場らしき所を通り過ぎ駐車場に出たので、そこに停車させます。
見渡す限りの広がる草の原に、
「ここ? へぇ〜、確かに凄いねぇ」
と感嘆の声を漏らします。
いい風が吹いているからか、パラグライダーをしている人もいました。
ですが、Sさんはどこか浮かない顔です。
「もっと凄い景色の筈なんですよね」
「え、そうなの?」
「ネットで見た限りでは」
そして辺りを見回し、
「あっちの道には、どうやって行くんですかね?」
と、向こう側の小高い山にある細い道を指さしました。
そこを目指して行ってみようということになり、駐車場の先にある、更に細い道をバイクで進むことにしたのです。
そこから先は更なる悪路で、ひび割れどころか完全に舗装が途切れて分断されたりしていました。
大きく陥没していたり、砂利や砂が散らばっていたりもしています。
まだギリギリ舗装路ではあるものの、ほぼオフロードのような道だったのです。
ステップに体重を乗せ、腰を上げながら進みます。
私はこの時、完全に笑い声を上げていました。
やがて、なんの標識もなく道が三又に分かれました。
Sさんが分岐の手前で停車するや、それを指さしながらこちらを振り返ります。「どれ進みます?」ということなんでしょう。
「あはは、どれを進めばどこに辿り着くのよこれ〜?」
と、すっかりテンションの上がった私は、無意味に笑い転げます。
なんの標識もないことも、どの道も全く同じ幅と造りに見えることも、道が滅茶苦茶なことも。なんだか全てが面白かったのです。
Sさんが適当な道を選んで進み、悪路を更に登っていくと、またも分岐に差し掛かりました。今度は二又です。
そこも適当に進み、次の二又も越えてしばらく進みます。
そして。
これまで悪路とはいえなんとか続いていた舗装路が唐突に終わり、踏みならされているだけの道、つまりオフロードとなったのです。
しかも、凸凹が激しく草も伸びています。
タイヤが取られそうで今にも転倒しそうな、とにかく今まで経験したことのない運転感覚でした。
すっかりアドレナリンが分泌された私は、そこをキャアキャア言いながら進みます。
それ以上は進めないだろうという所に行き着くやバイクを停め、降車しました。
「うっわ」
そこからの眺めは絶景でした。
「これ? この景色?」
見たかったのはこの景色だったのかと、傍らのSさんに尋ねます。
「あぁいえ…多分ですけど。ここ、高すぎです。登って来すぎました」
そしてSさんが指さす方向に目を向けると、先程までいた駐車場が相当小さく見えました。
「えぇ〜!? そんなに登って来てたの?」
「あっちにいる時、俺が行きたいって言っていた山の、更に向こう側にあったやつの一番高いところまで来ちゃったみたいですね」
正直そこまで走って来たとは思えないくらいに、あっという間でした。
「凄いなぁ。適当に選んだ道でここまで来れるだなんて」
その時おあつらえ向きに、白いものが舞い始めました。
「えっ雪?」
「みたいですね」
細野高原に降りしきる雪は、風を受けヒラヒラと舞い始めます。
「今日、ずっと快晴だったのに」
思えば、ここを目指し走り始めた時から黒い雲が広がり始め、今この高みに達したタイミングで雪が降り始めました。
私はそこに、何か天啓のようなものを感じたのです。
広がる高原と見下ろす街並み。向こう側には真っ青な太平洋。
そして地上に舞い降りる純白の雪──。
恐らく、これと全く同じ光景は生涯で二度と目にすることは出来ないのでしょう。
そう思い、私は懸命に目に焼き付けたのでした。