二度目のコンビニ休憩を取ると、再びバイクを走らせます。
観光客で賑わう通りを抜け、静かな小道に入ると、いよいよ山道です。
下から見上げると、想像以上に道は細く急勾配でした。美しいまでのつづら折りです。
──さて。
私はギアを3速にまで落とし、慎重にセローを進ませます。
まずは、最初のカーブです。見ればかなりの急カーブでした。勾配を登りながらの小旋回です。
セローの音が、切なげなそれに変わりました。パワーが足りないようです。私はギアを更に一つ下げます。
アクセルを回すと、ガーっとがなるようなエンジン音が出ます。私にはそれが、セローが気合いを入れているように感じられ、思わず微笑みました。
最初のカーブを通過します。
自分でも不思議でした。
何故、私は今恐れを感じていないのだろう、と。
思えば、一週間前の納車ツーリングでは、Sさんの姿がほんの数メートル見えないだけで不安に駆られていました。更にその一週間前の卒検では教官に、公道で走るのが不安だからまだ教えて欲しいと訴えていたくらいです。
なのに今、これだけの山道を走りながら、それもたった一人で走りながら、自分の感情のどこをどう探しても、恐れも不安も見つからないのです。
心は静かで、漣(さざなみ)ひとつ立っていません。
二つ目のカーブです。
セローがゆっくり進みながらカーブを曲がります。対向車が曲がりきれず少し中央線を越えて走ってくるのも、冷静に避けました。
更に登ると、だいぶ標高が高くなってきます。
実は、この登りでの景色が一番綺麗でした。山々の連なりと紅葉、霧により奥行きが霞んで見えるのもまた水墨画のようで風情があります。
ツーリングのブログを書く者の運命(さだめ)でしょうか。ツーリングにおける絶景は、走行中に突然やって来るのです。私の過去の記事でも何度か使ったセリフですが、この時もまた『走行中だったので写真は撮れませんでした』。
細い急勾配の山道、回避路もないため停止も出来ません。Sさんのように、走行中に写真を撮る器用さも持ち合わせていないため、私はやはりその景色を目に焼き付けました。
三つ目のカーブです。
先程もそうでしたが、アクセルを回してもセローはさほどのスピードは出ません。パワーはそれほどないのでしょう。それでも、決して止まらず着実に厳しい登り坂を登っていきます。カーブを曲がり、更に上へと進みます。
──ああ、そうか。
私はようやく納得したのです。
私の、セローに対する熱く滾(たぎ)る想い、そして確固たる揺るぎないもの。
それは『信頼』でした。
この子ならきっと登ってくれると私は信じているのです。それが今の私を力強く後押ししてくれているのでした。
街中の走行では、運転者の操作が重要なのだと思います。見落としや予測、判断。一つでも誤ると事故に繋がるからです。でも、交通量の少ないこんな山道では、もちろん運転も重要ですが、バイクの性能が重要になるのではないでしょうか。
バイクそのものの小回りが利かずカーブを曲がりきれない、力がなくて勾配を登りきれない。それは運転者にはどうすることも出来ません。
その点、私はこのセローに絶大な信頼を寄せていました。
四つ目のカーブに差し掛かります。
セローは、決して無敗のハードパンチャーではありません。絶対的世界王者でもありません。
相変わらずノロノロ登ります。こんなに止まりそうなくらいに遅いのに、粘り強く着実に進んでくれるのです。
その様はまるで、打たれても打たれても決して倒れない、そして絶対に諦めず敵に立ち向かい続ける不屈の戦士のそれでした。
セローはいつだって、私の求めに全力で応えてくれるのです。
七つ目のカーブも登りきり、ようやく拓けた道に出ます。道なりに進むと、目的地の道の駅に到着しました。
感無量に浸るには、あまりに簡素な道の駅でした。
ですが私にとって、目的地はあくまで折り返し地点です。
とりあえず外に面したベンチに腰かけ、持参したお弁当を広げます。
霧が深くて景色は見えませんでしたが、それでも外の景色を見ながら食べるお弁当は格別でした。
食べ終わると、一休みして帰路に着きます。
帰りは渋滞もなくスムーズでした。道も覚えていたので、来る時よりもずっとリラックス出来たと思います。
やがて馴染んだ街並みが見え、住んでいるマンションが見えます。
駐車場に入り停車しました。
ギアをニュートラルにしながら、ぶるっと震えがきました。
それがなんの震えだったのかは自分でも分かりません。やり遂げた嬉しさだったのか、緊張の糸が切れたからなのか、やはり怖かったのか。寒さじゃないことだけは確かです。気温は20℃を越えており、寒さ対策バッチリの装いの下でうっすら汗ばんでいたくらいです。
帰ってきた──。
走行距離100km足らずの比較的短いツーリングでした。でも、事故も怪我も、ヒヤリとする場面すらなく、無事帰ってきました。
半ば呆然としながら、しばしその感慨に浸ります。
箱根は行ったことがあります。
その時は家族と一緒で、電車とバスとを乗り換えながら向かいました。
せっかくだからと温泉旅館も予約し、観光施設へも赴き、更にせっかくだからとお土産だ記念品だと買い込みました。何万円ものお金がいとも簡単に飛んでいったのを覚えています。
時間だって丸二日もかかりました。
私にとって、箱根はそういう場所だったのです。
ところがどうでしょう。
結局この日私は、お弁当持参だったので、コンビニ休憩での飲料代わずか数百円しかかかりませんでした。今日は給油もなかったので燃料代すらかかっていません。
時刻は15時前。朝に出て、おやつの時間までには帰ってくることが出来ました。
そして、観光旅行では絶対に見ることが出来ない絶景にも出逢えました。
改めて、私はすごい相棒を得たのだと実感したのです。
「ありがとう」
セローのハンドルをそっと撫で、降車します。
無事家に帰るまでがツーリングだとSさんは言いました。でも私はその定義を少し変えます。無事に帰って、「ただいま」を言うまでがツーリング、にしようと思います。
「ただいま」を言おうと思いました。
家族に、友達に、仲間達に。無事やり遂げて帰ってきた喜びを分かち合うために。
無事に帰る。
「それなら、最初から走りになど行かなければいいじゃないか」と笑われてしまうかもしれません。
でも、そうはいかないのです。
『目的地というのは場所ではなく、物事を新たな視点で見る方法である』
ヘンリーミラーの言葉です。
新たな視点、新たな境地を得るために、ライダー達は走り続けているのかもしれません。
さて、次はどこを走ろうかな──?
地図を広げ、今日も一人作戦会議です。