無事に橋を渡り切り道を進むと、やがて国道1号線に入ります。
走っていて気付いたのですが、私は案外、昨晩せっせと書き込んだ地図を覚えていました。途中、道が違うかな? と不安になり停止して地図を開いたのですが、ちゃんと合っていたのです。
何に頼らなくとも道が分かるということは、その分運転に集中出来るということ。
私は視覚と聴覚とを駆使し、運転に集中します。
前後を走る車両と対向車、路面状況、車道の左端を走っている自転車、更には歩道を歩いている歩行者の動きにまで。細心の注意を払います。
その全ての要因が不測の自体に繋がりかねないのです。
そして、セローにも神経を注ぎます。
まず、『声』に耳を傾けました。今の速度や状況に、このギアは合っているのか、セローのエンジン音で判断していきます。
そして、クラッチの感触、ブレーキの効き具合も確かめながら操作します。
おそらく、Sさんの狙いはそこだったのでしょう。
確かに、運転時には、気をつけなければならないことが沢山ありました。
ひとしきり走ると、最初のコンビニ休憩です。
──それにしても。
私はペットボトル飲料に口をつけ、ホッと一息つきながらしみじみ思います。
先輩ライダーさん達は皆、ああやって運転しているのでしょう。そう考えたら凄いことだと思いました。
私は車の運転すらしてこなかったので、公道を車両で走ることすら不慣れです。だからでしょう、全神経を尖らせていないと、とても全てを捉えることが出来ないのでした。
でも、運転するからにはそう言ってもいられないのです。いずれは、呼吸するようにそれが出来るようにならなければいけません。
恐らく、インカムもナビも導入出来るのはその後なのでしょう。
空のペットボトルをゴミ箱に捨てると、肩をグルグル回しながら自問しました。
このまま先に進めるかどうか。
運転に差し障りが出るほどの疲労を感じたなら、いつでも引き返す心づもりでした。
正直、疲労は感じていました。でも、運転に障るほどではなさそうです。
セローに跨り、再度出発です。
小田原を抜け、箱根が近付いて来るにつれ道路が渋滞し始めました。渋滞特有の、止まったりノロノロ進んだりを繰り返します。
前の車に合わせてノロノロ走っていると、後ろからすり抜けして来るバイクが見えたので少し中央に寄りました。
バイクはその後も何台かすり抜けしていきます。
私は少しだけ身を捩(よじ)り、渋滞で列をなしている車の左端を見てみました。
確かに、充分な幅があります。
またも、後ろからバイクがやって来ます。今度はグループなのか、数台でした。エンジン音をやたらと響かせています。
そして、そのうちの一台が私の脇を抜ける時、クラクションを2、3回鳴らしていきました。
そこにどんな意味があったのかは分かりません。
単に邪魔だったのか、すり抜けもせず渋滞に並ぶ私を笑ったのか、こうすれば早く進めるよと教えたつもりだったのか。あるいは、単にからかっただけなのかもしれません。
そのグループは、車の列を左右から縫うように進み、やがて見えなくなりました。
──どうぞお先に。
私は肩を竦めます。
私は私のペースで行きます。
すり抜けは、実は誰からも禁止はされていません。教習所ですら、「出来ればしない方がいいですが、やる場合は慎重に」と教えたくらいです。
ですが私の中では、自分が納得出来るようになるまでは絶対にやらないつもりでした。
現にこの時も、車の脇の空間は充分にあったのです。私でも通ることは出来たのだと思います。
ただし、すり抜けで怖いのは車の側面を擦って弁償金を払うことではありません。
すり抜けには、それをすることによって起こりうる、様々な危険性があります。
走行し始めた車が、左側のコンビニなどに入ろうと急にハンドルを切るかもしれません。また、すり抜けした状態で交差点に差し掛かったら、対向車が私の存在を視認せず、右折してくるかもしれません。万一歩道を走る自転車が、急に車道に出てきたら避けようがありません。
運転に熟達した人ならば、それらも予測して上手く対処出来るのかもしれません。
でも、私の運転はまだまだ拙いのです。未熟な私は、自分の身の丈に合った運転をしていこうと決めていました。
やがて、箱根の温泉街を抜けます。
紅葉が見頃でした。
霧が立ち込めていたのは残念でしたが、赤や黄色、そして常緑樹の緑とが山の斜面を埋めつくし、まるでペルシャ絨毯のような華やかさでした。
ですが、綺麗な紅葉は見目麗しいだけではありません。
ここにバイク乗り特有の、弊害があったのです。
葉が彩るということは、まもなく落葉するということ。
道にはたくさんの葉っぱが落ちていました。
しかも、その日の朝は雨が降っていました。濡れた落ち葉は危険なほど滑るというのは、バイクに乗る色んな方から聞かされてきた話です。
私は可能な限り落ち葉を避けて走行し、それでも避けきれない時にはなるべく速度を落として落ち葉の上を走りました。
不思議です。
私は落ち葉で滑ったことがないのに、それを防止するための走り方も速度も、なんとなく分かったのです。
おそらくSさんの運転を見ていたからでしょう。
Sさんと一緒に走ったのはたった2回でしたが、タンデムで乗せてもらったことは複数回あります。先の山梨タンデムツーリングの時も、落ち葉を避けて慎重に走行するSさんの姿を真後ろで見ていました。
落ち葉だけではありません。
今日この日の運転は、彼の走り方を踏襲していました。
無理のない速度に落とし、可能な限り危険は避ける。景色を楽しみ走りを楽しみ、何よりも安全運転で。そんな走りだからこそ、私はバイクに惹かれたのでしょう。
先程、クラクションを鳴らしながら追い抜いていったバイクグループを思い起こします。彼らは格好いいバイクに乗っていました。詳しくは分かりませんが、きっと高価なのでしょう。
でも、走りは憧れられるものではありませんでした。たとえあの中の一人と仲良くなったのだとしても、私はバイクを乗ることに興味は持たなかったのではないでしょうか。
自分の理想とするバイクの走り。
それが、今日ソロで走ることにより浮き彫りとなったのでした。