「甘く見てるんじゃないかと思うわけですよ」
「えっと、そういうつもりはないんだけど…」
それは、失意の秩父ツーリングより三日後のこと。
場所は、駅前ファミリーレストラン。
私とSさんは仕事上がりに待ち合わせ、夕飯をご一緒しました。話題はやはり先のソロツーリングについてです。
「寝不足の状態で走ろうだなんて、普通は思いませんよ。しかも、全然知らない道を。バイクの怖さが分かってないんですかね?」
「……」
返す言葉もございません。
バイクの怖さは知っているつもりですし、私は自分のことをこれ以上ないくらいのビビりだと思っています。でも、Sさんからしたら無謀な行為以外の何ものでもなかったようです。
それにしても…。
私はテーブル向かいでメロンソーダを飲むSさんの顔色をそっと伺います。
珍しい、と思いました。ツーリング当日は優しい言葉をかけてくれたのですが、内心呆れていたし怒ってもいたようです。キレたりイラついたり、不機嫌になったことすらない人なのですが、この時私はしこたま『叱られて』いました。教官的立場から、言わずにはいられなかったのでしょう。
「でも…」
口答えというより、解決策をアドバイスして欲しくて口を開きます。
「でも、あの日は快晴だったんだよ。日曜日は予定が入っていたし、平日は仕事があるし。次の週末も天気がいいとは限らないことを考えると、どうしても走りに行きたくて」
「雨の日も走りに行けばいいんですよ」
Sさんがこともなげに応えます。
「要するに、快晴でしか走れないという縛りがあるから狭められるんです」
「それは…そうだけど。え…えぇ?」
一方で無謀な運転はするなと言い、もう一方でもっと厳しい環境下での運転もしろと言う。一体どういうことなのかと混乱しかけます。
「ツーリングを続けるのなら、雨降りでの走行はいつか必ずやって来ます。たとえ出発時に晴れていても、急に降ってくることも珍しくありません。そんな時、いい条件での走りしか知らないか、色んな条件下での走りを経験しているかでは大きな差が出てきます」
なるほど、と思いました。
そして考え込みます。雨の走行に不安があるから、あえて雨の中を走りに行く。ならば、他の苦手な走行も、あえて走りに行くことで不安が解消されるのではないかと思ったのです。
「私、秩父に行った時」
考えをまとめながら、切り出します。
「街中の走行が苦手だと思ったんだよね。あと、地理にも疎いし」
複数車線で思いのほか疲弊してしまったのと、ほんの少し道を逸れただけで混乱してしまったことを振り返りながら話します。
去年引っ越して来たばかりの私は関東の地理にも疎いのです。そこは、早急に何とかしたいと思っていました。
「不安だからギッチギチに計画を立てちゃうし、道が分かんないから決めたルートを外れると慌てふためいちゃう。そういう傾向も、どんどん街中を走ることで解消されていくのかな?」
「そうでしょうね」
Sさんは頷き、
「ところで、ナビはどうするんですか?」と聞いてきます。
この時点で、秩父ソロツーリング②まで公開していました。なので①の、『ナビがあれば良かったのに…』という私の弱音も知られてしまっていたのです。
「ナビを持つのは自由ですよ。でも、今の状態でナビを持ってしまったら、絶対に交差点に差し掛かるたび画面を見ちゃうと思うんです」
それは有りうる、と思いました。
「自分では一瞬しか見ていないつもりでも、あれ、結構見入っちゃうんですよね。そういう時に前の車が急ブレーキをかけたら、確実に対応が遅れます」
Sさんが、噛んで含めるように言いました。
「事故に遭って欲しくないんですよ」
許可が下りるまで、ナビなしで頑張ろうと思いました。
食事はとうに済んでいました。「お客様、お済みのお皿をお下げしてよろしいでしょうか?」とウェイトレスさんがにこやかに問い、下げていきます。
テーブルの上が広くなったので、私とSさんはそれぞれ持ち寄ったツーリングマップルを広げます。
「ちなみに、次はどこへ走りに行きたいんですか?」
私はいくつかの行きたい箇所を口にします。
「ダメですね」
「えっダメ?」
「大体、最初からいい道を走りすぎてるんですよ。箱根とか伊豆とか、ああいういい道に慣れすぎちゃダメですよ」
思い返します。確かに、綺麗で緩やかで、ゆったりしたいい道ばかりでした。でも、いずれもっと遠くまで走りに行きたいのなら、街中走行にも慣れておかないといけないのでしょう。
「じゃあ、例えばどの辺を走れば練習になる?」
「まぁ、千葉方面に行って欲しいですね」
前々から千葉への走行は勧められていました。湘南からだと船やアクアラインを使えば早いのですが、それは禁止なのだそうです。
千葉…。私は地図で千葉方向へ向かうルートを目で追います。
海沿いのゆったりしたルートを走ると大幅な回り道になるため、横浜市内と東京都内を抜けるしかないようです。
「…って、大都会じゃん!」
秩父へ行く時にも都内を横切りましたが、あれは23区外。そこまでの混雑でも複雑な道路でもありませんでした。でも千葉へ向かうには、横浜市内と東京都のど真ん中を突っ切らなければいけません。
「だからいいんじゃないですか」
「でも、そうなるとお弁当食べるところがなさそうだよ」
あくまでそこに拘ります。
「それなら、いくらでもありますよ」
Sさんが、いくつかの休憩スポットを教えてくれます。
「へぇ〜、地図を見ただけじゃ分からないものなんだね」
実際、ツーリングマップルを見てもお弁当が食べられそうかどうかは分からなかったのです。
「そりゃそうです。自分で行ってみなければ分かりません。そうですね、あとは…」
そして自身のツーリングマップルをめくりながら、
「じゃあ、44ページを開いてください」
と真面目くさった声で言い放ちます。
「あのぅ…。私のとページ数が違うんですが」
私のは関東甲信越版、Sさんのは中部北陸版。
Sさんは改めて静岡や神奈川県内でノーチェックだった地名を口にし、私がその箇所を見つけるとその地域の特性について語ってくれます。
そして、走ってみて爽快だった道、美しかった絶景スポットも教えてくれます。
「へぇ、やっぱりそこもツーリングマップルでは…」
「そう、薄紫に囲われていないんですよ」
なるほど、今まで地図を見ていい道かどうかを判断していましたが、実際に走ってみないと本当のところは分からないようです。
そして私の最大の欠点も考えてみます。
「今度、方向だけを決めて計画を立てずに走ってみようかな?」
「ああ、それがいいかもしれませんね」
そう。毎回計画とルートを決めすぎてしまうので、一度気ままに街中を走ってみようと思ったのです。その方が道も覚えられます。
「峠を走りたいけどなぁ…。でもまぁ、今の時期はどっちみち凍結しちゃってて無理だしね」
本当の怖さを知らないだけなのかもしれませんが、正直、峠の方が気は楽でした。峠道には、信号も渋滞も車線変更もありません。入り組んだ交差点で戸惑うことも、標識を見逃すまいと気を張る必要もないのです。
でも、走りたい道だけを走っていても成長は出来ません。
走りの不安は走ることでしか解消されないのでしょうし、経験値も走り続けることでしか上げられないのでしょう。
とにかく今は色んな道を走りに走り、沢山のことを吸収していかなければいけないのだと思いました。
「そうやって冬のうちに上達していって、春になったら好きな峠へ走りに行こうかな」
「あぁ、いいですね。そしてそうやって走り続けていけば、一年後には立派なライダーになってますよ」
こうして──。
ステップアップをはかるために始めた街中走行での練習ですが、意外な刺激を受けることとなったのでした。