旅というものは、出発したなら必ず帰らなければいけません。行きがあれば帰りもある。それは当然のことと言えましょう。
帰りのないものは、旅とは呼ばず『放浪』とでも言うのでしょうか。
とにかく、ひとたび家を出たのなら、必ず帰る時間と距離とが必要になってくるわけです。
それはツーリングにおいても同じことで、ルートを考えるならば、必ず帰りのことも考えなければいけません。
私が以前から気になっていたのはそこです。
もっと距離を伸ばしたくても、もっと遠くまで走りに出たくても、いつも『帰り』というものがネックになってくるのです。そして時間の制限と体力の限界とを考慮すると、必然的に行ける距離が限られてきてしまいます。
でもそれは、当日中に帰っているからでは──?
はたとそこに気付き、ならばツーリング先で泊まってみようと思いついたのです。
そうと決まれば、行き先をどこにしようかと考えます。
「銚子とかお勧めですよ」
Sさんからアドバイスされました。
「ちょーし?」
一瞬、漢字で変換が出来ず『調子』という文字が浮かびます。
「千葉県の銚子です」
「ああ」
ようやく『銚子』と脳内で変換されたものの、いまひとつピンと来ませんでした。
「銚子って、何があるの?」
「灯台がありますよ」
「いや、私べつに灯台マニアではないんだけど…」
以前の千葉ツーリングで館山の野島埼灯台に行きましたが、あそこは千葉最南端を目指したからであって、灯台目当てに行ったわけではなかったのです。
「あと、景色も綺麗ですよ」
「あ、そうなんだ」
その場ではそこで会話が終わっていたのですが、家に帰りツーリングマップルを開き、銚子のページを見てみます。
なんと銚子は、東映の『荒磯に波』の場所なのだと記載されていました。そうです、映画が始まる前の、あのザッパーンの映像です。
俄然興味が湧いてきた私は、行き先を銚子に決定します。
問題はルートです。
湘南から銚子までですと、距離はあるものの、泊まりで行かなければいけない程のものではありませんでした。せっかくならば、泊まりでしか実現出来ないプランにしようと思ったのです。
綿密に計画を練り、ルートを紙に書き込んでいきます。
ですが、中々計画通りにいかないのがツーリングのようです──。
それは追々明かしていきます。
当日の朝。
泊まりなのでどうしようか迷いましたが、一食分でも浮かせたいので、サンドイッチを作りました。
予報が覆り、晴れの天気となりました。まるでこのツーリングが祝福されているようで、なんだか嬉しくなります。
気温こそ低いものの陽射しに恵まれながら都内を抜けます。
走りながら、千葉県までの道にもすっかり慣れたなぁと思いました。
冬の間に都内各地を走っていたからでしょうか。それもSさんからの課題だったからなのですが、そのお陰で私は、流れの速い複数車線の知らない道でも、怖がらず走ることが出来るようになっていました。
千葉県内に入り、まずは最初の目的地『泉自然公園』を目指します。
湾岸道路を出て国道126号線に入ります。千葉市内の道は、セローの走りをのびのびさせてくれました。
田園の中を通り、木々の生い茂る細い道を抜けた先に泉自然公園はありました。
ここは『桜百選』に選ばれた公園で、緑豊かで静かな公園でした。駐輪場も無料で使わせてもらえます。
ここで少し休憩を取ると、すぐに出発します。
スケジュール的に、公園をゆっくり散策している暇はなかったのです。
126号線に戻り、東へと走り進めます。
この日は風が強く、時々突風に煽られたりしていました。風の音もヘルメット越しに聞こえて来ます。
「…ん?」
この時、違和感を覚えました。
風の音が、なんだかいつもと違ったのです。
でも風が強すぎるからだろうと思いました。
この時、バイクを停めて確認していれば良かったのでしょうが、ここも複数車線の交通量のそこそこ多い道。中々それは叶いません。
何より、流れも景色もよく気持ちよく走っていたので、停まりたくなかったのです。
やがて。
走行中、左肩にポンと何かがぶつかる感触がありました。
なんだろう? 虫? どんぐり?
気にはなりましたが走行中です。確認しようがありません。でも、さほど気にせず運転を続行していたのですが、それ以降、明らかに音が変わったのです。
風のヒューヒューという音ではなく、左耳をざわつかせるギギギギ、という音が聞こえて来ます。やがて強風が吹いて来ると、カタカタカタ、と鳴り始めました。
さすがにこれはおかしいと思い、停止してミラーを覗き込みます。
ヘルメットの、左側のボルトがなくなっていました。
先程肩にぶつかったのはそれだったのでしょうが、交通量の多い片側複数車線です。戻って探し、拾ってくるのは不可能でしょう。
動揺したからか、発進の際エンストしてしまいました。
落ち着け、まずは落ち着こう。
自分に言い聞かせ、走りながら考えます。
何故外れたのか、というのはとりあえず置いておきます。
何が問題なのか、どうしなければいけないか。まずはそこを考えなければいけません。
私のヘルメットはオフロードタイプのものです。バイザーが付いており、シールドとバイザーとを両サイドのボルトで固定してあります。
そのボルトの、片方が外れました。
つまり。
ただでえバイザーがある事で風の抵抗を受けやすいヘルメットが、この強風により、受ける抵抗の全てを片方のボルトのみで耐えている状態になったわけです。
──下手をしたら、シールドが外れてしまうかもしれない。
それではとても困ったことになります。
コンタクトレンズを装着しているので、シールドなしでの走行は目が乾燥し、下手をしたら前方が見えなくなってしまうかもしれません。
そうならなくても、冷たい風が顔に当たり続けるのは疲労するため、長距離走行が不可能になるかもしれないのです。
どこかでバイクを停めたら、とりあえず何かで固定しよう。
そう決めて、運転に集中することにします。
次なる目的地は九十九里ビーチタワーです。
工事中の看板が出ていたので、回り道をして向かいます。
ビーチタワーで記念写真を撮り、ようやく銚子へと向かいます。
今回のルートではあえて、九十九里浜を入れました。湘南から銚子へ向かうには遠回りになります。ですが、九十九里浜から銚子へと向かう道が、ツーリングマップルで太枠で囲われていたのです。
太枠、つまりおすすめロードということです。
どうせならおすすめの道を走りたいと思いました。
県道30号線『九十九里ビーチライン』は、両側に民家の建ち並ぶゆったりとしたいい道でした。
ですが。
どうにも楽しめません。
カタカタカタカタ…
ギギギギ
私のヘルメットが風に煽られ、ずっと異音を発していたのです。
インカムも持っていないので音楽も何も聞かずに走る私ですが、さすがに耳障りな音を聞きながら走るのはしんどくなりました。
やがて銚子に着きます。
大きな風車がゆったりと構え、丘の向こう側に海が見えました。
「すごーい!」
思わず声を上げます。
確かに、綺麗な所です。
到着するや、海を眺めながら早速お昼ご飯にします。
この時間だけ、生憎の曇天でした。
そしてSさんにLINEします。
上の写真と、『ボトルが飛んでった』とだけ送りました。
すぐに返事が来ます。
『ボルト、ですか?』
『そう、それそれ。そのせいで、風が吹くたびヘルメットがうるさかった』
『ホームセンターでネジ買えますよ』
『えっ? ヘルメット専用のとか売ってるの?』
『専用のじゃなくても固定出来ます。ホームセンターなら色んな種類のが売られてるので、ヘルメット持って選べば合うのがある筈です』
その場で調べ、早速近くのホームセンターに向かうことにします。
その先での出来事が、今回のロングツーリングでの忘れ得ぬ思い出となったのです。
ですが、この時の私はただひたすら、煩わしい音を発するヘルメットの心配をしているだけでした。