アクセルグリップ握りしめ

オフロードバイク、セローと共に成長していく、初心者ライダー奮闘記

初めてのバイク〜実走編⑤〜

バイク乗りになろう。

この日、この時点でそれを決心したというのに、私は隣にいるSさんにそれは伝えませんでした。

別に秘密にしていたわけではありません。言えば喜んでくれるだろうことは分かっていましたが、内心それどころではなかったのです。既存の価値観の崩壊と、新たな世界の広がりはあまりにも唐突で、それに順応するべく私はしばらく呆然としてしまったのです。

 

そのカフェを去り、ガソリンスタンドで満タンにして返却に向かいました。

今日一日親しんだクロスカブとのお別れです。その頃にはギアのチェンジもすっかり慣れ、カブとの呼吸もピッタリでした。

今日一日だけとはいえ、相棒となってくれたクロスカブにお礼とお別れをし、返却を無事済ませました。

 

その後は来た時同様、Sさんのバイクに乗せてもらい帰路につきます。

Sさんの運転。このところ連れて行ってもらっているツーリングでの、すっかり見慣れた光景となっていました。

ですが、真後ろから見るSさんの運転は、やはり今日一日クロスカブを運転しながら見たそれとは明らかに異なっていました。いつもの安全運転ながらも、先程までよりずっと滑らかで軽やかでした。

「凄いなぁ」

思わず声が漏れたのを、Sさんから聞き返されましたが、私はそれ以上何も言いませんでした。

 

Sさんの住まいは湘南ではありません。私の住まいまで来るのに一時間かかり、バイク貸し出しサービスをしている鎌倉までも更に一時間かかります。その後一時間乗り方を教えてくれ、更に丸一日バイクを引導してくれました。この日の飲食代は持ちましたが、それすらこちらから言い出さなければ自分で払おうとしていたくらいです。

 

赤信号で停止し、風の音が止んだタイミングでSさんを呼び、「仲良くしてくれてありがとう」と、なるべく真面目な声で言いました。茶化すような言い方はしたくなかったのです。

「…は?」

笑いながら聞き返されます。

「いや、こんな世界観を広げてくれる友達は初めてだから」

「ああ」

なんだそんなことかと言わんばかりに相槌をうち、青信号になったので発車させます。

「別に、慣れてるんで」

そういえば、過去にも何人か、彼の伝道により二輪免許を取ってバイク乗りになった人がいるという話を聞きました。

もしかしたらその人達は、バイクへの興味もさることながら、バイク乗り仲間になることでSさんともっと仲良くなりたかったからじゃないのかとふと思いました。

 

当時、1000人を超えていたSNS繋がりの人達の中で、リアルで会おうと自分から声をかけたのは彼一人でした。それだけ光るものを感じていたとはいえ、あの時の自分の鋭い観察眼と嗅覚に拍手を送りたいです。

そして実際お会いしてみて、Sさんの印象が悪かったなら。おそらく二人乗りを提案されても乗らなかったと思います。

バイクの良さを知り、楽しさを実感したのは事実です。でもそれ以上は、それを薦めてくれる人の人柄が良くなければ決断出来ません。

最終的に私の背中を押したのは、この伝道師Sさんのひたむきな人柄なような気がしました。

思えば、初めてリアルでお会いしてからまだたったの3ヶ月しか経っていません。私は元々、興味を持ったことにはとことん突き詰める性格でしたが、他者の介在により全くゼロの状態からここまで引き上げられたのは初めてです。彼が詐欺師や悪徳商法に手を染める人間でなかったことは、社会にとって一つの幸いだったのではないかと思います。

_伝道完了。

そう言って笑いながら手を振られそうな気がしたので、やはり私は口を噤んだままでした。

 

翌週、教習所への入校手続きを完了させました。