私のセローも砂利道へと入って行きます。
…あ
不意に、転倒した時の感覚が蘇りました。
私自身の制御ではどうにもならず、ほんの一瞬で天地がひっくり返った、あの感覚です。
恐怖に捉われそうになる心を、なんとか理性で押さえ付けます。
「大丈夫…」
自分を鼓舞する為に小さく声に出してみるも、あきにゃんさんとインカムが繋がっている事をすぐに思い出し、思わず赤面してしまいました。
「30kmくらいの速度を維持していきましょう」
私の呟きが聞こえてかたまたまか、あきにゃんさんがアドバイスをくれました。
「はい」
「ギアは2速か3速くらいで。ブレーキをかける時にはリアブレーキで」
「はい」
「フロントブレーキは使わず、30kmくらいの速度を維持して走ってれば、ここではまず転倒しないと思います」
とは言え。
スタンディング状態で路面に集中しながら運転しているので、メーターで速度を確認する余裕はありませんでした。
前方を走るあきにゃんさんのペースに合わせて追走して行きます。
走るうちに、少しずつ落ち着いてきました。
タイヤが沈み込んで滑るような感覚も、大きな障害や陥没も、急勾配もありません。
以前転倒した時抱いたような制御不能な感覚は、この道でなら味わわなくて済むような気がしたのです。
それもそのはず、ここは初心者だった私自身が過去二度も走った道なのです。
その事実が、どんな理論よりも私自身を支えてくれるような気がしました。
「スタンディングでは膝ではなく、くるぶしで車体を挟み込みます」
「はい、でも…」
少しだけ落ち着けたので、あきにゃんさんと会話する余裕も出て来ました。
「いつもしっかり挟み込んだつもりでも、くるぶしがちょっとずつズレていくんですよね」
「あぁ、慣れないとそうかもしれませんね。箸で豆を挟み込むイメージです」
「うっ。でもそれ、結構脚がキツくないですか…?」
「慣れです」
なるほど。
オフロードも、筋トレと通ずるものがあるのかもしれません。
自分の身体を支えられるほどにくるぶし部分で車体を挟み込むのは、確かに日常ではやらない動きです。その為、相当な筋力を使うかに感じられます。
でも回数を重ねていけば、徐々にその部位は鍛えられ、やがて自然にそれが出来るようになるのかもしれません。
下りです。
「下りでは20kmくらいを維持していきます。2速でエンジンブレーキを駆使していけば大丈夫です」
「はい」
大きな石はありましたが、バランスを崩すほどではありませんでした。
「あとカーブを2回抜ければ、砂利道は終わります」
「あ、はい!」
最後の最後で転倒という事がないよう気を引き締めますが、やはりあと少しという嬉しさが込み上げてきました。
「はい、お疲れ様でした~」
ダートの終着地点であきにゃんさんがそう声を掛けてくれました。
「は~あ」
安堵と達成感からため息がこぼれ出ます。
バイクを並べ、絶景をバックに写真を撮りました。
「では。お疲れ様でした」
あきにゃんさんが再び言ってくれます。
「はい~、ありがとうございました!」
完走出来たという達成感がふつふつとこみ上げてきました。
「今日はもうダートを走らないので」
「やったぁ! あぁ~気持ちがグンと軽くなりました」
私のセリフに、あきにゃんさんが吹き出します。
展望台には人っ子一人いませんでした。
私はお湯を沸かしてカップラーメンを作り、あきにゃんさんはおにぎりを出してお昼ご飯にします。
「今日は景色がよく見えますねぇ」
以前来た時には、霧が濃すぎて景色が何一つ見えなかったのです。
「あーそうですね。多少ガスってますが、今日はよく見えます」
快晴とはいかないまでも、天気も良く風も気持ち良く感じられました。
昼食後。出発の準備をしながら、
「一時間押していますが、どうしましょう? 慰霊塔は見に行きますか?」
あきにゃんさんが聞いてきました。
本日最後の目的地です。解散予定時刻が一時間遅れることに気を使って下さっているのでしょう。
「はい、是非行きましょう!」
せっかくならば行きたいという思いもありますが、ダートを走り抜けたという達成感から、もっともっと走りを楽しみたいという気持ちも湧き上がっていました。
バイクに跨り出発です。
気持ち良く風を受けながらなだらかなワインディングを走り抜けて行きます。
慰霊塔とは。
1985年の8月12日、日航ジャンボ機墜落事故が発生し、乗員乗客 524名のうち死者520 名という世界で類を見ない事故が起きました。
この犠牲者の供養を目的に、飛行機の墜落現場周辺(御巣鷹の尾根)に「昇魂之碑」が、麓には「慰霊塔」が設立されたのです。
これまであきにゃんさんとのツーリングで何度もその近くを通ったのですが、話題に上がるだけで実際見に行くことはありませんでした。
細道のピストンカーブを上り慰霊園を目指します。
「あ、この先砂利ですよ」
前方を走るあきにゃんさんがそう声を掛けてきました。
「えぇっ!?」
林道でのダートは終わったとホッとしていたのに、慰霊園の駐車場はまさかの砂利だったのでした。
「ここへ来てコケちゃったら嫌ですよぉっ」
私のセリフに、あきにゃんさんが笑い出します。
慰霊塔の前に立つと厳粛な気持ちになります。
自然、口数が少なくなりました。
石碑には墜落事故により亡くなった方々の名前が掘られていました。
刻まれた名前のあまりの多さに痛ましい気持ちになります。
家族旅行だと思われる、同じ苗字の方々、女性の名前の横に括弧が付けられ、胎児の名前が刻まれている箇所もありました。
たった一つの事故で、これだけ多くの命が…。
そう思うといたたまれない気持ちになりました。
私とあきにゃんさんはお線香を上げ、手を合わせてご冥福をお祈りします。
バイクに跨り、解散場所目指して走り出します。
「ちょうど一時間遅れとなりましたが」
「あはは、逆にきっかり一時間遅れってすごいですよ。それだけきっちりルートが組まれてたってことですもん」
解散場所に到着し、降車するやあきにゃんさんと挨拶し合いました。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ。お気を付けて」
「はーい」
高速道路は空いていました。
走りながら、とても多くのことを考えます。
バイクのこと、ツーリングのあり方、バイク仲間というもの、ライダーとはどう在るべきかまで…