アクセルグリップ握りしめ

オフロードバイク、セローと共に成長していく、初心者ライダー奮闘記

ライダーの在るべき姿~前編

あきにゃんさんとの、御荷鉾山林道ツーリングの帰り道──。

 

高速道路で大型トラックの後ろを走りながら私は、一人つらつら考えていました。

 

 

今日ダートを走り終わった後、あきにゃんさんは言いました。

「ここくらいの道を恐怖心なく走れるようになってから、次のステップに上がったらいいと思いますよ」

その言葉は何気ないようでいて、私の心をとても安堵させてくれました。

回数を重ね、自信と技量が付き、自分が『走れる』と感じた道だけ走ればいい──。

そう言って頂いたような気がしたからです。

 

 

思えば、ヨシさんもいつもそう言ってくれています。

無理はしないでいい、マイペースでいい。疲れたら休憩を取ろう、怖かったら速度を落として、とにかく、決して無理はしないでと。

 

そのようにして私はオンロードではヨシさんから、オフロードではあきにゃんさんから、寄り添う形で教えをいただき、楽しみながらバイクライフを送ってくることが出来たのです。

 

 

でも、そんな先輩ライダーもいる一方、その逆もまた、当然いらっしゃいました。

 

 

──今から綴る言葉をここへ書くべきかとうか、実は数ヶ月も前から迷っていました。

 

 

 

私は二輪免許取得前からこのブログを書いてきました。そしてTwitterでも、バイクライフの様子を発信しています。

そんな私がSNSを通して何かを発信する際、金科玉条のごとく守ってきたルールがあります。

それは、『誰かを批難するようなコメントは絶対に書かないこと』です。

 

それがどんな有名人であっても、たとえ政治家であっても、またどんな大枠に括られたジャンルの方々であっても、それに属している誰かが目にして批難だと受け取ってしまう発言は決してしないようにしようと決めていたのです。

 

強すぎる論調は私自身の敵を作るばかりでなく、不毛な軋轢を生みます。

また私にとってどんなに無関係だと思う方々であっても、発した言葉はどんな形でその人に伝わり、そしてその人やその人を愛する人々をどんな形で傷付けてしまうか、一切分かりません。

発した言葉は取り消す事など出来ないのです。

 

 

ですが、今回のブログでは、あえてそのルールを曲げることにしました。

 

 

 

──ここで、ある二人のライダーについてお話ししようと思います。

 

 

初期から読んでくださっている方はご存知でしょう、私にバイクを教えてくれたのは、一人の男友達でした。

彼は自分を『ツーリングの伝道師』と名乗り、知り合った私にバイクを教えてくれました。

バイクを通して私の世界を広げ、様々なアドバイスと課題を与えては、私をライダーとして成長させようとしてくれました。

その事には今でも本当に感謝しております。それは嘘偽りない気持ちです。

 

では何故、彼がこのブログに登場しなくなったのか?

それをようやくここに書こうと思います。

バイク以外の場面でお金や時間にルーズだった為、友人関係を解消したからというのもありますが…。

シンプルに私は、彼をライダーとして尊敬出来なくなったからなのです。

 

 

彼から与えられる課題。

それはナビなしで下道を走り、神奈川から千葉の最南端まで目指すもの、都内の主要道路を走るものなど、様々でした。

関東に越して来てまだわずか、しかも車の運転すらろくにした事のない私にとって、首都圏の車道をナビなしで走るのは、本当に怖くて不安で仕方ありませんでした。

でもまだ何も分からなかった私は、成長したい一心で、出された課題を一人黙々と粉していました。

 

 

疑問を抱き始めたのは免許取得してわずか3ヶ月目、彼と一緒に伊豆へとツーリングに行った時のことでした。

 

 

 

『成長の過程~伊豆、河津桜』↓

 

 

https://qmomiji.hatenablog.com/entry/2020/02/11/074924

 

 

なんと、次なる課題は『すり抜け』だったのです。

 

先導している彼は、国道一号線の渋滞を、すり抜けしながらグングン進んでいきます。

当時はインカムも繋がっていませんでした。道はおろか、目的地すらも私にはよく分かりません。

はぐれてしまったらもう終わりです。

必死にすり抜けしながらついて行くしかありませんでした。

しかも車は、渋滞で完全に止まっていたのではなくノロノロ運転でした。車の急な車線変更により、ヒヤッとする場面も多々ありました。

そんな私を置いていくように、彼はさっさとすり抜けて行ってしまいます。

 

 

「もぉ! 速いよ! めっちゃ怖かった」

 

上のブログで、途中で彼にそう言ってるシーンがあるのはその件についてです。

 

「このくらい、頑張って付いてきてもらわないと」

そう返されたのを覚えています。

 

 

 

『すり抜けしないと言ってる奴なんか、バイクを降りりゃいいんすよ』

彼はよくそう言っていました。

バイクの価値はすり抜けにある。そう信じて疑わないようでした。

 

 

またある時は──。

私に前を走らせた時、後ろから煽って来ました。

「遅いです」

と言いながら。

当時まだ峠に慣れていなかった私にとって、スピードを出してカーブを曲がるのは至難の技だったのです。

 

 

長距離でのツーリングでは睡眠時間や食事時間を削って、ただただ走るようにと言われました。もちろん雨天時でも走るように、と。

運転に疲労して私の判断力が鈍ってきても、

『限界を越えた先に見えるものがある』

と言って方針は変えませんでした。

見えるものって何だろう?

それを知りたくて、ひたすら彼の出す課題を粉していきます。

 

思えば、初心者のうちからそんなツーリングばかりして、事故に遭わずに済んでいたのは僥倖でした。

ですがライダーとして成長するほどに、私なりの考えも持つようになり、彼の方針に疑問を抱くようになります。

 

 

ヨシさんは元々、彼のバイク仲間でした。

共通のバイク仲間として私は、ヨシさんに相談させてもらいました。

そんな私の実態を耳にしたヨシさんはひどく驚き、『彼の言う通りにしていたらいつか事故りますよ』と忠告してくれ、その後彼に代わってヨシさんが私に寄り添ってくれたのです。

 

 

その後のバイクライフは前述の通りです。

 

ヨシさんは私に、ただただ『楽しむ』ようにと言いました。無茶な課題もなければ偏った信条もありません。

そうしてようやく私は、バイクを純粋に楽しめるようになれたのです。

 

 

そう、オンロードでは。

 

 

オフロードに興味を持った事で、ある一人の男性と知り合うことになりました。

 

続きます。