「えっ、走行不能ってどういうこと?」
愛車フューリーを覗き込んでいるヨシさんに尋ねます。
前回のお話〜
『旅の(強制的)終わり〜栃木、福島連泊ロンツー』↓
https://qmomiji.hatenablog.com/entry/2020/08/27/220058
「ライザーボルトが、折れた」
ヨシさんが大きなネジを掌に乗せ見せてくれました。
「ライザーボルト?」
どこのどんな部品なのか、私には全く分かりません。
「そう。ここのハンドルを固定するネジで、それが真ん中からこうポッキリと折れてる」
それはハンドルと車体とを固定する物のようでした。
そのボルトが折れてしまったせいで、ハンドル操作がきかなくなっていたのです。
ヨシさんはバイク修理やメンテナンスを自分でやり、この日も簡単な工具類は持って来ているようでした。
ですがこのボルトはフューリー専用の特注品らしく、そこいらのホームセンターに行けば買えるという代物でもないのだそう。
つまり──。
確かにこれは『走行不能』で、ツーリングの続行は不可能な状態なようでした。
私は先程までの気楽なツーリング気分から素早く気持ちを切り替えます。
「それは大変。レッカー呼ぶ?」
「うん…。でも街中まで運びたいから、応急処置はしたいかな」
ヨシさんは荷物固定用のバンドを出して、ハンドルを基底部に固定していきます。
何か手伝えることはないものかと私も覗き込むのですが、何をすればいいのか分からずウロウロするばかり。
「ちうさん大丈夫? 暑いから日陰で休んでて」
「あ、うん」
結局手伝える事はないらしいと分かり、木陰で休むことにしました。
ヨシさんは作業しながら、
「ちうさん大丈夫〜? 暑いから水分補給しててね」
と言ってきます。
「うん。いや…」
私のことはいいから。
約30分後──。
「よし! これで何とか…」
と言いながらハンドルを動かしてみるのですが、車体はそのままでハンドル部品のみが動いてしまいます。
固定バンドはゴム製のため、伸縮してしまうのです。
この状態では、走行はおろか例え短距離なのだとしても引いて歩くことすら危険です。
「レッカー呼ぶか…」
ヨシさんはようやく観念したようでした。
「あぁっ! 携帯が繋がらない」
山の中のため、ヨシさんの携帯電話は圏外なようでした。
「あ、じゃあ私の使うといいよ」
私のは電波が来ていたので、それを渡します。
「ごめんね、ありがとう」
受け取り、電話をし始めるヨシさん。
ヨシさんが電話をしている間、私は愛車セローのリアキャリアを見直します。
慣れない積載の為、私の大荷物はシートの後ろ半分にまで広がってしまっていました。
「ちうさん、電話ありがとう。4、50分くらいで来れるって」
「えっ、そんな早いんだ?」
「そう。俺もびっくりした」
話しながら私は、荷物を出来る限り後方で固定しようと縛り直していました。
察したヨシさんが、自身の荷物をフューリーの積載から外してきます。
「ごめん、これも入れてもらってもいい?」
「うん」
ヨシさんの荷物は僅かなため、私のドラムバックに余裕で収まります。
そしてヨシさんが、荷物の固定を一旦解いて後方でキツく縛り直してくれました。
二人分の荷物になったというのに、バッグは綺麗にリアキャリア部分で固定されました。
シートが丸々空いたため、これなら余裕でタンデム(二人乗り)が出来そうでした。
「よし! じゃあヨシさん。レッカー車が来るまでまだ時間あるから、ちょっとセローを運転しておいで」
「わ、分かった…」
そう。
ヨシさんのバイクが走行不能となった以上、私のセローに頼るしかありません。
ですが私は二輪免許を取得してまだ8ヶ月。
二人乗りは免許取得から一年経たないと道路交通法違反になるため、ヨシさんが私を乗せてセローを運転するしかないのです。
ヨシさんがセローに跨り、ゆっくりと走り出します。
現在のバイク含めアメリカンにしか乗ったことのないヨシさん。
もちろんオフ車の運転も初めてです。始めのうちこそ恐る恐るでしたが、何往復かするうちに慣れていました。
さすがバイク歴が長いだけのことはあります。
やがてやって来たレッカー車。
細かな書類手続きを済ませるや、ヨシさんと業者さんとでフューリーをレッカー車に乗せます。
固定させ、走り出していくレッカー車を二人で見送りました。
「さよならフューリー」
脳内でドナドナのテーマが流れました。
「さて、私たちも帰りますか」
私はセローのシートをひとなでし、
「よし、頑張れセロー!」
と、相棒を鼓舞します。
私とヨシさんとの『帰りの脚』は、セローに託されました。
ヨシさんが跨り準備が完了するや、私がその後ろへと座ります。
この日私は、自分のバイクのタンデムシートを体感するという、稀有な体験が出来たのです。
「じゃあ出すよ〜」
「はーい」
ライダー二人を乗せて走り出す、私の愛車セロー。
東北福島から関東神奈川までの、帰還走行の始まりです。
「ちうさんごめんね。もっとロンツー続けたかったよね」
「ううん。いいんだよ、そんなこと」
確かにあと一、二泊ほどする予定でしたが、そんなことは些末なことでした。
ツーリングは『無事帰ること』が大前提──。
それは自分一人だけでなく、一緒に走る仲間もなのだと思っています。
もちろんヨシさんを誘った責任を感じたのもありました。
でもそれだけでなく私は、ヨシさんを無事家まで、ご家族の元にまで送り届けなければと思ったのです。
それに優る優先事項などありません。
「ライダー同士は助け合うものなんでしょう? 私が困った時にも助けてもらうから、もう謝らないで」
「うん、分かった」
深く頷いておきながら、
「ホントにごめんね」
と続けます。
だからっ!とズッコケそうになりながら、ヨシさんらしいなぁと笑みがこぼれます。
高速道路に入りました。
人二人と荷物を積んでいるにも関わらず、セローは軽快に走り抜けています。
やはり運転するライダーがベテランさんだからなのでしょう。
猛暑日です。
高速走行で風を受けているにも関わらず、汗が流れ落ちてきます。
『那須高原SA』で休憩です。
気温を見ると38℃もありました。那須高原でこの気温ならば、他の地域はもっと高かったのかもしれません。
500mlのスポーツドリンクを一気飲みしました。
休憩を終えるや、再びセローに跨り出発です。
「ちうさん大丈夫〜? 暑さで気持ち悪くなったりしてない?」
「うん、大丈夫だよ〜。風も当たるからそんな暑く感じない」
ふと気付きます。
最近、『ちうさん大丈夫?』がヨシさんの口癖となっている事に。
唐突に、込み上げるものがありました。
──あぁ、ありがとうございます。
このバイク仲間が、こんな事態になっても尚、自分のことより私の心配ばかりするこの心優しい友人が、今無事に帰路につけていることに、心の底から感謝の念を抱いたのです。
あの道は下りの山道、急カーブだって続いていました。
もし走行中にボルトが折れていたならば、まず大惨事は免れ得なかったでしょう。
たまたま停止した、あのタイミングで起きてくれたからこそ、今ヨシさんは無傷でいられるのです。
それはバイクの神様のお陰なのか、ツーリングの神なのか。
はたまた主を守ろうと踏ん張ったフューリーの功績なのか──。
何でもいい。
とにかくありがとう。
ありがとうございます。
心より、感謝いたします。
「ちうさん? 大丈夫? 眠くなっちゃった?」
黙ってしまった私が心配になったのでしょう、ヨシさんが聞いてきます。
「ううん、大丈夫。ただ…」
太陽は紅く染まり、雲を立体的に照らし出していました。
「空が綺麗だなって思って」
あ、ホントだ。と応えるヨシさんに、空を見上げる気配がありました。
「ちゃんと、無事に帰ろうね」
私の呟きは、夏の夕暮れへと溶け込み、静かに流れ、消えていきました。