富津岬を後にすると、再び林の中を走り抜ける道となりました。
そのどこまでも続く真っ直ぐな道には、ほぼ車通りもありません。
たまらずセローを停めて写真撮影です。
そこを走り抜け、海沿いの道路に出ます。
のどかで綺麗な道でした。
千葉の海には、湘南のそれとはまた違う良さがあると感じました。
湘南には、サーファーやヨット乗り達が、年中集まってきています。そのため、常に喧騒に包まれており、走り抜ける際も賑やかな気持ちになるのです。
でもこの千葉の海は静かにたゆたい、のどかで穏やかな時間が過ぎていっていました。
海近くに住んでいるからでしょうか、海沿いを走っていると気持ちが安らぎます。
その心穏やかな走りを充分に堪能していると、館山市内へと入りました。
驚きました。
すごくのんびり走って来たというのに、覚悟していた程には遠く感じられなかったからです。
──あれ? これは行けるんじゃない?
そう。
当初の予定では富津岬に行った後、とりあえず館山方面を目指して走り、体力に余裕があるようなら最南端『野島埼灯台』を目指すというものでした。
この日、思ったよりもあっさり館山市に入れたので、これなら何の心配もなくそこまで行けそうだと感じたのです。
しかも、時刻はまだ午前10時半過ぎでした。
ですが、館山市は広いのです。
地図で見てそれを認識していたはずなのに、この時の私はただひたすら目的地のことばかりを考え、それを失念していました。
自分の体力もです。思えば、富津岬を出てから一度も休憩を取っていませんでした。
ツーリングにおいて、疲労を自覚してからでは遅い。まだ大丈夫だと思っても、まめに休憩を取るように。と、Sさんからは助言されていました。
にも関わらず、先へ先へと目指すあまり、その時間を惜しんでしまったのです。
このように、後になれば、いくらでも反省ポイントは上げられます。
でもこの時私は、千葉最南端の地を目指すことしか頭にありませんでした。
とりあえず、野島埼灯台を目指すのでしたら、このまま海沿いを走るのは遠回りになります。もっと内陸部まで行き、直線コースを辿ろうと思い、横道に入ります。
その山間(やまあい)の道も素晴らしく、のどかな田園風景の中を突っ切って行きます。
ここもいい道だなぁ。心が洗われるなぁと和やかに走りました。
そこへ、道が四つ叉に分かれたので、少し考え一番右端の道を選んで進んだのです。
でもどんどん道幅が狭くなっていき、周りの風景も閑静な住宅街となり、やがて行き止まりになりました。
この道じゃなかったか。さっきの分岐点にまで戻ろう。
その時少し焦ったのも良くなかったのだと思います。
私はナビを持たない上に、最近はこうやって好きな道を走るためか、しょっちゅうUターンをします。
この時の私も何の迷いもなくUターンをしたのです。
でも、それをやるには私の技術はあまりに拙く、そしてそこはあまりに道幅が狭すぎました。
まずいと気付いた頃には、セローの重量を支えきれず転倒していたのです。
すぐ左が塀でした。セローはそこにしたたかにぶつかり、なにかの部品が放物線を描くように飛んでいくのが見えました。
2回目の立ちゴケです。
ソロツーリングでの立ちゴケはこれが初でした。
私は立ち上がるや、とにかくセローを起こさなければと、身を屈めてセローを起こしにかかります。
でも、少しも持ち上げられません。
塀にぶつかりながら倒れ込んだからでしょう。セローは左側に倒れたのに、そのすぐ左に塀があるのです。
つまり、倒れた左側には人の立てるスペースがほぼありません。
え? こういう場合はどうやって起こすの?
私は、ただでさえコケてしまったことに動揺しているというのに、セローを起こせないというその状況にますます焦りました。
とりあえず、セローの右側に移動してその位置から引っ張ってみます。
ビクともしませんでした。
重い。
走行している時は軽い軽いと言っているセローの車体ですが、133kgもあります。まともに引いても動くはずもないのです。
そこは人通りもありません。どん詰まりの細い道です。助けが来るとも思えませんでした。
私はセローの左側に戻るや、懸命に押し上げにかかります。
「あのぅ、大丈夫ですか?」
気付けば、軽トラックが停車しており、ご夫婦らしき年配の男性と女性がそこから降りて私に声をかけてくださいました。
「あ、すみません。バイクを倒してしまって。すぐにどけるので」
とても狭い道でした。私がセローを倒しているせいでトラックが通れないのだろうと思ったのです。
ですがそのご夫婦は、迷うことなくセローに手をかけ、
「いっせーの」
と掛け声をかけ、一緒にセローを引き起こしてくださいました。
あれほど苦労したというのに、三人でやるとあっさり立ち上がりました。
「ありがとうございました。本当に助かりました」
私が深々と頭を下げると、奥様が「気を付けてね」と私の肩をポンポン叩き、旦那様の方は飛んでいっていたセローの部品を拾い上げ、「ん」と、私に手渡してくださいました。
走り去っていく軽トラックに頭を下げ、私は手渡された物をようやく確認します。
それはスクリーンでした。とりあえずそれをドラムバックに入れ、セローに跨りエンジンをかけるや走り出します。
ほんの数メートル走ると広い路肩のある通りに出たので、そこに停車させます。
まず、自分の身体をチェックしました。
セローは私を挟み込んで塀にぶつかっていったのです。怪我をしていてもおかしくありません。
でも幸いにも私は無傷なようでした。
あえていうなら新品のオフヘルメットに傷がついたくらいでしょうか。
次にセローのチェック。
先程のスクリーンを出すと、割れも砕けもせずにそのまま飛んでいったようでした。ネジで固定されていた部分にすら、ひび割れ一つ入っていません。こういう事態を想定して造られたものなのでしょう。
でもスクリーンはドラムバックに入れて持ち帰るしかないようです。
エンジンとブレーキは問題ないようでした。
ですが、左側のミラーが緩んでしまっていて、風車のようにクルクル回転してしまいます。これでは後方確認が出来ず危険です。
私はルートを書いた紙をスクリーンに貼る時用に、セロテープを持っているので、とりあえずそれでミラーを固定しました。
一応はそれで走行可能になりました。
再度セローに跨り出発します。
ですが、またも、ものの数メートルも走らないうちに路肩に停めて降車したのです。
私はセローの傍らにしゃがみ込みます。
問題があったのはセローではなく、私のメンタルの方でした。
落ち込んでいました。この心理状態ではとても運転出来ないと判断したのです。
なんだろう? 私はなにに落ち込んでいる?
よく考えました。
私は無事だし、セローのパーツは壊れましたが、修理に出せば大丈夫なレベルです。
立ちゴケしてしまったことそのもの?
でもそれは、人はコケて上手くなっていくもの、とのSさんの言葉で持ち直した筈です。
それに、それは後でいくらでも反省できると思いました。状況を分析して、二度と同じ状況でコケないようにしっかり見直さなければいけないとも。
でも、それをしなければいけないのは今ではありません。
思い至ったのは、やはり自分でセローを引き起こせなかったことでした。
『女』も『初心者』も免罪符にはならないのです。
ひとたびバイクに跨り公道に出たのなら、それはもう一人前のライダーであるべきです。
自分のバイクを自力で起こせませんでした、では全く話になりません。
『出来ない』のが気がかりならば、『出来る』ようになればいい。
よし、引き起こす練習をしよう。
密かに決意しました。
どこで、どんな状況でコケてもサクッとセローを引き起こせるように、いろんなパターンで何度も何度も練習しようと思ったのです。
──でも、それをやるのも今ではない。
今度こそ、セローに跨り出発です。
今はまだツーリングの時です。運転に集中すべき大事な局面、そして全力で楽しむべき貴重な時間です。
千葉の最南端はもうすぐそこでした。
私はメンタルのスイッチを自力で強引に切り替え、ツーリングを再開したのでした。