箸くらい、どこででも手に入ると思っていました。
割り箸ならコンビニでも買えます。そしてコンビニはどこにでもあります。現に、箸がないことに気付く直前にもコンビニを見かけました。街中には100円ショップだって多くあり、この299号線に入る時にも見かけたくらいです。多少割高でもいいのなら、スーパーにだって売られています。
どこかお店を見つけたら、入って買えばいい。ただそれだけの話だと思っていたのです。
ですが、走れども走れどもお店がありません。
コンビニすら見かけませんでした。
本来なら綺麗な景色を楽しめる、のんびりとした道。なのに私は、ただひたすら昼食用の箸について考え、何kmも何kmも走り続けていたのです。
──これは、諦めるしかないのかもしれない。
そう思い始めていました。
秩父市街地を抜けるのならば余裕で買えるのだと思えました。
でも美の山公園までのルートでは、市街地へたどり着く前に右折する予定でした。そして、そこより先はここよりももっと急峻な峠道を走ることになっています。店屋があるとは思えませんでした。
どうしようかと考えていたら、『この先1km 道の駅 あしがくぼ』という標識が出ました。
とりあえず、そこに入ってバイクを停め、本当に箸がないのかどうかだけでも確認しようと思ったのです。もしかしたら、無意識で入れているかもしれません。
道の駅あしがくぼの駐輪場には、たくさんのバイクが停められていました。
新米バイク乗りの私はコソコソ隅っこに停車するや、とりあえず荷物を確認します。やはり箸は持って来ていないようでした。
さて、どうしようか。
とりあえず、店内を見てみようと思いました。
ざっと見て回ったのですが、やはり道の駅に割り箸などという日用品は売られていませんでした。
更に進み、奥の建物を覗いてみます。
飲食店でした。
あそこの割り箸、貰えないかなぁ…。と、テーブル上に添えられた割り箸を見ながら、せこいことを考えます。もちろん、そんなお願いは出来ようはずもありません。
腕時計を確認すると、時刻は11時45分。お昼ご飯にするにはちょうどいい時間です。
どうせお弁当も食べられないし。
そう思い、食券を買い店内に足を踏み入れます。
秩父名物のうどんだと銘打ってありました。注文し、席につきます。
それにしても、早朝に家を出たのにもうお昼前…。地味にショックを受けます。予想よりも遥かに時間を食ってしまいました。
温泉は諦めるとして、ここでお昼ご飯を食べるのなら公園もどうしようかと考えます。
食べ終わったら、そのまま引き返そうかな…。
ふと、そんな考えが浮かんで来ます。
別に強制されたツーリングでもないのです。ここで引き返したとしても、誰からも怒られませんし迷惑もかけません。時間にも余裕を持って帰ることが出来ます。
ここで地図を広げます。美の山公園までが遠かったのならば、或いはそうしたのかもしれません。でも、やって来た道のりを思えば、ほど近い距離でした。
あともう少し、頑張ろう。
そう思ったのです。
うどんはコシがあり、出汁醤油を垂らしたお椀にうどんのゆで汁を入れて自分で味の調節が出来ました。
肉厚椎茸の天ぷらも頼みました。
自分が用意したお弁当の存在がなければ、舌鼓を打てたのかもしれません。でもせっかく作ったお弁当を無駄にしてしまったという思いから、砂を噛むような気分でした。
ここで、SさんにLINEしようと思いました。
ソロツーリングの際はいつも、お昼休憩に状況説明も兼ねてLINEを送っています。今日、私が秩父ツーリングに出ることは伝えてあるので、報告がなければ心配させてしまうかもしれないと思ったのです。
携帯電話を手にし、文字を打とうとしてはたと動きが止まりました。
なんて送ればいい?
だってうどんを食べているとも、景色が綺麗とも、ツーリングが順調とも報告出来ません。弁当を作ったのにうどんを食べている理由を気にさせてしまうでしょうし、景色なんて見ていなかったのに綺麗だと嘘をつくことになります。大幅に時間が過ぎているのに順調だとは、とても言えません。
迷った末に私は、『箸忘れた』と簡潔な一文だけを送り、返事も見ずに携帯電話をしまい再出発したのです。
やがて走り始めてしばらく進むと、
「えっ? あったの!?」
思わず声が漏れます。
そう、コンビニがあったのです。もう少しだけ辛抱して走り続けていたのなら、ちゃんとコンビニで箸が買えたのでした。
過ぎたことは仕方がないと割り切るには、あまりにタイミングの悪い出来事でした。もう少しだけ早く気付いていれば、100円ショップやコンビニで買えました。もしくは、気付いたのがこの辺りだったのならば。
ともあれ予定通り、美の山公園に向かいます。こうなったらせめて綺麗な公園をのんびり散策し、癒されて帰りたいと思いました。
少し迷いながらも、ようやく『美の山入り口』交差点に来ます。地図によると、ここから公園までの道のりも楽しそうでした。少し気分を高揚させながら、美の山公園方向へとハンドルを切ります。
──そしてすぐに、ブレーキをかけて呆然とすることになったのです。
そこには、通行止めの看板がありました。
私はセローを降り、看板をじっと見つめ続けます。まるでそうすることで、書かれている内容が変わるとでも言うかのように。
でも、当然ですがどんなに見つめても通行止めの表記は変わってはくれませんでした。
看板をよく見ると、美の山公園へは別ルートで行けるようでした。でもその場で地図を開いても、それがどの道なのかが分かりません。
おそらく、秩父市内を抜けて反対側の入口から入れば行けたのでしょう。
ですが、下調べなしで市街地を抜け、反対側ルートから行ける余力が、今の私にあるのでしょうか。
私はそっとセローのメーターを確認します。既に走行距離は130kmを超えていました。帰りの走行距離を考えると、ソロツーリングでは過去最長になりそうです。
自分自身の体調も省みました。やはり疲労が感じられます。無事家に帰ることを最優先にするのなら、美の山公園は諦めた方がよさそうです。
では、どこか別の所へ行こうか。
ツーリングマップルは持って来ています。ですが、私はそれを出すこともなく、脳内でそっと却下しました。
今から調べてルートを覚え、別の場所へ移動する気力体力はもはやなさそうでした。
──せめて、お弁当が食べられたら良かったのに。
そう思いました。
小さな公園のベンチでも、近辺にある林道でも構いません。座り込んでお弁当を食べることが出来ただけで、秩父の空気を満喫し、もう少し晴れやかな気持ちになれたのかもしれません。
でもお昼ご飯は既に食べてしまっていました。早起きしてせっかく作ったお弁当は、持ち帰るしかありません。
──帰ろう。
それは、走行距離130km、約5時間かけてやって来た道のりを、ほんの小さな看板を前にとんぼ返りすることを決断した、悲しい瞬間でした。