教習4回目。
前回の教習では、エンストや急発進、ギアやウィンカー操作の不手際等、散々な結果に終わりました。今回は更に気を引き締めて挑みます。
今回一緒に受講したのは、20代で来春新社会人予定の女性。
例によって講習開始までの待ち時間に話し掛けると、彼女は50ccのスクーター乗りでした。
「なら、バイクで走ることには慣れてるんじゃないですか?」
と聞くと、とんでもないと首を振ります。
「まず、スクーターにはギアがないから、アクセルとブレーキ操作だけで進めちゃいます。それに、ブレーキが両手に付いているからその癖が残っていて、片手でブレーキかけなきゃと意識しすぎてクラッチを握るのが、私いつも遅くなるんです」
成程と思いました。私も先の教習で、車体の重さもパワーも違うクロスカブの感覚を忘れようと決意したくらいです。学生時代にずっとスクーターで通学していたという彼女は、その操作方法がすっかり身に付いてしまっていて、逆にそれが弊害になっているのかもしれません。
受講開始──。
今回の教官は今までで一番朗らかな方でした。
まず、前回までの教習で何か苦手としていることはあるかを聞いてくれました。
私は減速や停止の際のギアチェンジ、彼女はエンストしてしまう事と答えます。
「あーなるほど。なら、どちらもクラッチだねぇ」
と教官。
ついに実践。まず、半クラッチで徐々に進み、アクセルを開きギアを上げて走行、そして停止、を繰り返します。
停止する場所は予め分かっている筈なのに、相変わらず減速のギア操作に手間取ります。教官からは、ギアに足を置いて事前の準備をしておくといいとアドバスが。しばらくその通りにやってみると、幾分スムーズに操作出来るようになりました。
次に、ある程度直進でスピードを上げブレーキをかける練習です。
教官が目の前でやってみせてくれます。遠くからスピードを出しやって来て、所定のパイロンに差し掛かるとブレーキを掛け、白線で綺麗に停止しました。
この時、ギアチェンジは一切していませんでした。
クラッチをきちんと握りこんでいたため、ブレーキをかけて完全に停止しても、エンストはしないのです。
私はこのレクチャーで、急に天啓を得たように衝撃を受けました。
そうか、クラッチを握りこんでいればエンストはしないんだ!と。
教官はバイクが完全に停止してから、一気にローギアにしていましたし、確かにそれで問題はないのでした。私は停止するまで、減速、ギアを下げる、また減速またギアを下げる、というのを繰り返し、そこに手間取っていました。ブレーキをかける際は、とりあえずクラッチを握り込む。これをするだけでエンストのリスクも激減します。ギアチェンジはその後ゆっくりやっても別に構わないのでした。
この日の教習により、私も、一緒に受講した女性もエンストはほぼしなくなりました。
さて、その次。教習5回目──。
この日は朝から雨が降っており、初めて雨の中での教習となりました。教習所側でカッパを用意してくれていますが、着用するしないは教習生の自己判断に任されています。迷いましたが、私は着ないことにしました。ごく小雨でしたし、カッパを着ての走行は感覚が違ってきそうで少し怖かったからです。
最初に、大きく外周を走ります。
何周かすると、前回の復習で、スピードを出して走行し、ブレーキをかける練習です。「向こう側に着いたら、手を挙げて合図するので発進して下さい。30kmまでスピードを出し、バイロンに差しかかるまでブレーキはかけないように」と言い、教官は先に向かいます。
ここで教官の後ろ姿を見ながら、私はようやく雨の存在に思い至ったのです。
雨は、尚も降り続けています。それはしとどに路面もバイクも濡らし、コースはライトの光を受けて反射しギラギラと輝いていました。
雨の日の運転は、初めてです。
そのため、雨が運転にもたらす影響も、当然、全く分かりません。
急に込み上げてきた感情に、思わず身体が硬くなりました。そう、恐怖心です。
もし、車体が横滑りして転倒したら? もし、ブレーキの効きが悪くて暴走したら? もし、ハンドルが取られてあらぬ方向に行ってしまったら?
もし? もし? はとめどなく脳内に沸き起こり、理性を侵食しようとします。恐怖心を煽り立てるもの、それは目前の現象ではなく、己自身の想像力なのではないでしょうか。それは却って視野を狭め、身を竦ませてしまいます。
──それでも。
遥か前方に進んだ教官が、方向転換して右手を挙げます。合図です。私は一呼吸すると、両肩を持ち上げストンと落とし、両腕の余計な力を抜きます。
後方を確認し、クラッチを徐々に開いてアクセルを回し発車します。スピードを上げ3速に。メーターを見ますが、まだ20kmも出ていません。教習所のコース内での30kmは、広さがない分結構なスピードに感じられるのです。アクセルを緩めたい衝動をグッと堪え、更に回します。
30kmです。パイロンが近付いて来ました。私はアクセルを緩め、パイロンに差しかかるとブレーキを掛けました。ハンドブレーキ7割、フットブレーキ3割。
車体は、ちゃんと停止線の手前でキュッと停止しました。
──それでも私は見たいんです。恐怖の先にある、新世界の広がりを。
「うん、いいんじゃないかな」
教官はあっさり頷き、教習内容は次の項目に入ります。
この日は新しく習ったことがまだ沢山あったのですが、それよりも大きな出来事があったのでそれを書こうと思います。
これを書くべきか、最後の最後まで迷いましたし、今現在もまだ迷っています。ですがやはり書くことにします。
初回教習で一緒だった女性が、教習中に骨折をし、辞めてしまわれたと知らされました。そう、子育ても一段落したし、長年の夢だったバイク乗りに挑戦出来ると嬉しそうに語っていた、あの女性です。
バイクは危険な乗り物です。
それは教習所の教官達だけでなく、現役のライダー達も皆、口を揃えてそう言います。
それは教習所内でも同じこと。
暴走しても、教官がブレーキをかけて停めてくれる訳ではありません。衝突すれば生身の身体が直接ダメージを受けますし、転倒して車体の下敷きになれば200kgもの重量物がのしかかります。
例え教習所内であっても、自分の身を守れるのは自分自身の冷静な運転技術だけなのです。
でも、それでもあなたはバイクに乗りたいですか?
──YES。
何度自問しても、私の答えは常にYESでした。
あの日、クロスカブに乗った直後に下した決断は、それほどまでに頑なで、もはや私自身にも抗い難い強固なものとなっていたのです。
で、あるならば。
私はこの教習期間中に、学ばなければいけません。バイクの操作方法だけでなく、私自身の意識を安定させる方法をも。
恐怖心に呑まれて身を竦めていてもいけませんし、余裕ぶって気を抜いてもいけません。
常に最悪の事態を想定しながら、冷静に最良の判断と操作方法を見つけ、実行していく。しかも、毎秒毎にそれは必要となります。
果てしなく遠い道のりなのかもしれませんが、それでもやり続けなければいけません。
楽しいバイク生活に、「安全」の2文字は絶対条件なのでしょうから。