タイヤの空気を抜いた方がいいと言われました。
オフロードを走る際は、空気圧を下げておかないと凹凸にタイヤを取られ、滑って転倒してしまうのだとか。
物欲さんが、エアゲージを当てながら空気を抜いて下さいます。
オンロードしか走って来なかったセローのタイヤが、初めてとも言える空気圧にまで下がりました。
ヨシローさんも空気を抜き、いつでも林道に入れる準備をします。
そうこうしている間に、他のバイクもやって来ました。
「あー! おはようございます」
ヨシローさんが、1台のバイクから降り立った男性に声を張り上げ挨拶しました。
その男性とひとしきり世間話をした後、
「こちら、ちうさんです。林道は今日が初めてなんですよ」
と、私を紹介してくれました。
「初めまして、よろしくお願いします」
私が頭を下げると男性は、
「林道初めて? あぁそぉ、じゃあ俺と一緒だ」
と言ったので、「えっ、そうなんですか?」と聞き返します。
が、
「なーに言ってんですかぁ!」
とヨシローさんが突っ込んだので、彼がボケたのだと分かりました。おそらくは、林道ツーリングのベテランさんなのでしょう。
十文字さん、と仰るそうです。その場でネットを開き、十文字さんをフォローします。それを告げると、
「あぁフォローしてくれたんだ? 分かった、じゃ〜あ、ブロックしとくわ」
「なんでですかっ!」
隣でヨシローさんが声を上げて笑います
十文字さんは面白い人のようです。ヨシローさんと仲がいいだけのことはあります。
この時の印象は、ただそれだけでした。
ですがこの後、ガラリと印象が変わります。
メンバーも揃い、いよいよ出発となります。
ワクワクもしましたが、緊張と恐怖心も当然あり、色んな意味で胸が高鳴りました。
深呼吸してそれをなんとか鎮めます。
先導の方が走り始め、十文字さんが続いたので、私もそれに続きます。
舗装された山道を走り、脇道に入るや、いよいよダート走行の始まりです。
砂利道でした。
それも、整備された平らなそれではなく、轍の跡や水溜まりもある、所々陥没している砂利道。
小石どころか、大きな石がゴロゴロしています。
私は初めて走るそんな道を、いつコケるのかとハラハラしながら運転していきます。
見ると、前のライダーさん達は立ち乗りしています。
私もそれに倣おうと思いました。
ステップに体重を乗せ、身体を持ち上げます。
これがオフロードバイクにあるステップの、本来の使い方なのでしょう。今までは、風を感じる、景色を眺める、そんな時にしか立ち乗りはしていませんでした。
この立ち乗りでの運転はバランスも取りやすく、振動も頭にまで響きません。座り姿勢より、断然運転しやすくなりました。
それにしても、速い。
こんなガタガタの道を、前のバイク達は信じられないスピードで走り抜けて行きます。
私の所で列を詰まらせてはいけないと思い、必死に付いて行きました。
ひとしきり走ると、先導の方が停止したのでそれに倣って私も停まります。軽く休憩のようです。
「ちうさん、はやーい。初めてなのに凄いですよ」
後ろを走っていたヨシローさんがそう声をかけてくれました。
「そうですか? もぉ、必死でした。私で列を詰まらせちゃいけないと思って」
「大丈夫、全然詰まってないですよ〜」
そう言って貰えて、ちょっとだけ緊張が解れます。
再び走り始めます。
急カーブや勾配の所も走行しました。
谷底に目をやり、ここでコケてあちら側に落ちて行ったらどうなるんだろうなぁと、チラリと考えましたが、悪いイメージは無理矢理頭から払い除けます。
そして、カーブや凹凸に苦戦して前のバイクとの距離が開き始めました。
林道は、あくまで自分のペースでいい、とは言われていたのですが、さすがに全く見えなくなるまで距離が開いてしまうと不安になります。
前を走る十文字さんが、そんな私を気遣って分岐点の手前でスピードを緩めて走ってくれるようになりました。
凄いなぁと思います。
オンロードならば後方確認は苦もなく出来ます。ミラーを見ればいいだけです。でも林道ではそんなことすらも困難なのです。
目の前の障害物や路面状態を察知して、バランスを取りながら運転しなければいけません。
十文字さんは先導に付いて走りながら、後方を走る私の動きにも気遣ってくれているようでした。
「ここで小休憩を取りまーす」
拓けた場所に出るやそう告げられたので、ホッとひと息吐いて降車します。
と、後ろを走っていた物欲さんのセローが横付けされました。
「言い忘れてました」
物欲さんがゆっくり説明して下さいます。
「なるべくステップに立つ時には、体重を真下に乗せるイメージで。あと、林道でフロントブレーキは使っちゃダメです。反動でコケます」
「えっそうなんですか」
ここまで、しょっちゅうフロントブレーキを使ってしまっていました。
「わざわざありがとうございます」
頭を下げると、「じゃ」と手を上げ颯爽と後ろに戻っていきます。
立ち去り方がカッコ良かったです。
「あー、なんかお腹空いちゃった!」
ヨシローさんが唐突に、持ってきたおにぎりを頬張り始めます。
「ヨシローさん、まだ朝の10時ですよ」
笑いながら言うと、
「大丈夫です! おにぎりは3つ握って来たんで。お昼の分は取っておきます」
そうしてヨシローさんが腹ごしらえしている横で、ふと後方にあるブルーのセローに目が止まります。
「これ、新車ですか?」
持ち主の男性に話しかけます。車体がピカピカだったのです。
「あ、はい。納車一ヶ月です」
「一ヶ月! それまで他のバイクには乗られてたんですか?」
「はい、乗ってました。でもオフロードバイクはこれが初めてなんで」
聞けば、彼も林道ツーリングは今日が初めてなのだそうです。
バイク歴では先輩ですが、林道では同期ということになるのでしょうか。同じセロー乗りということもあり、妙に親近感を抱きます。
よねってぃさんと仰るそうです。
不意に、他の林道ツーリンググループが脇を通り抜けていきます。
「あー!」
「おぉ〜」
ヨシローさんと、そのグループの先導をしていた女性とが、手を振りながら声を掛け合いました。
ヨシローさんのお知り合いのようです。
二人でお喋りをし始めます。
先導の女性が後ろの女性ライダーを指して、
「彼女、今日が林道初めてなんですよ」
と言うと、
「あ、こっちにも初めての人がいますよ。ちうさ〜ん!」
完全に会話が聞こえていた私は、「よろしくお願いしま〜す」と、後方の彼女に向けて手を振ります。
林道が初めてという彼女も、同じセリフを口にして振り返してくれました。
彼女達が立ち去る時、「頑張りましょうね〜」ともう一度手を振ります。
走り去る彼女達の起こした爽やかな風に癒されたのは私だけではなかったらしく、周りの男性たちも目を細めて眺めていました。
「今日林道デビューの人が多いみたいですねぇ」
隣にいた十文字さんにそう話しかけます。
「今日は絶好の林道日和だからな」
十文字さんが応えました。
確かに。
陽射しも柔らか、吹く風は優しく新緑も色付き始めています。
初めて林道を味わうには、絶好の日和だなと思い、一人クスクス笑ったのでした。