ぴすけさんが急斜面を上り切ったのを見届けた後。
「では、我々も戻りますか」
よしださんが向きを変えようとした時、
「ちょっと、私もやってみようと思います」
ヨシさんが言い出しました。
──え、ヨシさんも行くの?
よしださんも同じように感じたようで、
「え、ヨシさんも行くんですか?」
と訊きました。
「はい、やってみようと思います」
よしださんは、先程ぴすけさんにしたのと同じ説明をヨシさんにも丁寧にし始めました。
あそこの砂利までアクセルを開き、そこから先はアクセルを緩める。前よりに体重を乗せる、等。
「では、行ってきます」
走り出したヨシさん。
凄いなぁ、よく行くなぁと感心しながら眺めます。
「あ、足りない」
「…え?」
よしださんの呟きを問い質す間もなく、急勾配を上がるヨシさんの後輪が横滑りします。
ヨシさんは足をつき体勢を崩しながらも、何とか上に到達していました。私はホッと息をつきます。
「今のは上り坂に達するまでのアクセルが足りなかったんですよ」
よしださんが説明して下さいます。
「そうなんですか」
スピードが足りないまま上り始めてしまったので、追加でアクセルを開きすぎてしまい、そのせいで後輪が横滑りしたのだそうです。
「なるほど、そうだったんですね」
応えながら私は、怖くなっていました。
下から見ていたからでしょうか、ヨシさんの横滑りは今にも倒れそうでしたし、また捲れてしまいそうでもありました。
少なくとも私には、そのビジョンが容易に浮かんでしまったのです。
どうしよう、私もここを上る事になるのかな…?
ぴすけさんとヨシさんが上ったのですから、次は私が、という流れになるのではないかと身構えました。
「ではちうさん」
「は、はい」
「ちうさんはあそこの砂地をもう少し往復しましょうか」
よしださんが、先程通ってきた砂地を指して言います。平坦な開けた砂地です。
「はい!」
ホッとしながら返事をしました。
…って、全然ホッと出来るような状況じゃなかった!
内心そう思いながら砂地をズブズブと走り抜けます。
確かに平坦な場所ではありますが、タイヤが沈み込むため思うように操作が出来ません。真っ直ぐ走るだけなのに車体がぐらつき、ハンドルが取られてしまいます。
大きく傾き、身体でバランスを取ろうとするも、努力虚しくものの見事に転倒してしまいました。
またも、よしださんから引き起こしを手伝って頂きました。
「ちうさん、前寄りに体重を乗せてみたり後ろ寄りにしてみたりして、ここを何往復かしてみてください。違いが分かってくると思いますよ」
「はい」
確かに。
前よりに体重を乗せてみると前輪のぐらつきが少しだけ緩和された気がしました。それでも、自在に砂地を走れるまでには至りませんでした。
そうして砂地での往復練習を終え、ぴすけさんとヨシさんのいる広場へと戻ります。
「では、このパイロンの回りを8の字走行してみましょう。二つコースを作ったので、二人ずつでやってみますか」
よしださんがパイロンを置き、そう言います。
「あ、では女性二人でどうぞ」
ヨシさんが譲ってくれたので、私とぴすけさんとで8の字走行を始めました。
教習時代、8の字走行はむしろ大好きでした。
バンクさせながら進行方向を眺めて進んで行くのは楽しかったのです。
ですがオフロードでのそれはやっぱり怖いと感じました。
カーブして方向を変える度、もっと上手く曲がれないかと考えながらやりますが、中々思うようには行きません。
ふと見遣ると、よしださんがヨシさんに、フロントアップを教えていました。
つい、気になって見に行ってしまいます。ぴすけさんも同様だったらしく、いつの間にかよしださんのフロントアップの説明を三人で聞いていました。
よしださんの説明を聞いたヨシさんが、
「全く出来る気はしませんが」
と言いながらやってみます。
本人の言う通り、前輪が少しも持ち上がりませんでした。
「わぁ~難しそう」
「だね~」
ぴすけさんと言い合います。
よしださんがやってみせました。鮮やかに前輪が持ち上がります。
「おぉ~」
見事なフロントアップに、拍手が起こります。
「ところで」
よしださんが、私とぴすけさんに顔を向けます。
「お二人は8の字練習をしててもいいんですよ?」
「だって、もう5時過ぎちゃったので。そろそろ帰らないと」
ぴすけさんの言葉に、よしださんが「え、もうそんな時間?」と驚いています。
「そうなんですよ、そろそろ帰って夕飯作らないと」
「そうなんですよねぇ」
私とぴすけさんとが言い合います。
「では、ざっと説明だけしておきますね」
パイロンのコースに入って、よしださんが8の字走行の説明を始めてくれます。
立ち乗り姿勢でバイクがほぼ止まるほどのスピードなのに、倒れないことにまず驚きました。
その状態からハンドルをめいっぱい切り、ゆっくり小さくカーブを曲がっていったのです。
「凄い! これが出来るようになったら大抵のオフロードが走れるようになりますね」
興奮気味に私が言います。
実際今日も、曲がりきれないことで何度もコースアウトしてしまいました。林道でも、アップダウンよりむしろ、カーブに苦戦していたのです。
「では、今日は本当にありがとうございました」
私とヨシさんが手を振りながらそう言うと、
「お疲れ様でした」
「お気を付けて~」
よしださんとぴすけさんが手を振り返してくれました。
ぴすけさんはまだもう少し休んでから帰るとの事で、軽く洗車してから帰りたい私とヨシさんとで、近くの洗車場へ向かうことにしたのです。
今日初めて、インカムを繋げます。
「いやぁ、楽しかった! すごく丁寧に教えていただけたね~有難いよ」
「うん、そうだねぇ。…楽しめたようで良かった」
ヨシさんの言葉に同意したものの、私の声は沈んでいました。
「あれ? ちうさんは楽しくなかった?」
「…」
楽しかったか楽しくなかったかと聞かれれば、確かにとても楽しかったのです。休憩時間に笑い合えた時間はとても貴重でしたし、とても勉強にもなりました。
──でも。
「でも私、結局何も掴めなかったから」
悔しさの方が勝っていました。
「ごく初歩的なことすら掴めたという気がしなくて。そりゃ、たった一日でそんな簡単に上達出来るとは思ってなかったけど。でも、何か一つくらいはもっと手応えがあるかと思ってたのに」
結局、立ち乗り姿勢一つろくにマスター出来なかったのです。
「今日一日時間を取っていただいたのに、なんか…申し訳なくって」
ヨシさんはただ、「そっかぁ…」と返しただけでした。
もっと練習を重ねたいけれど、今後自分が参加することで全体のレベルを下げてしまうのではないか。迷惑を掛けてしまうのではないか。
この日は結局、その葛藤を引きずったまま帰宅する事になりました。
ですが。
『今日はお疲れ様でした。また一緒に練習しましょう。安全に乗るためにも、基礎は大事ですからね』
帰宅後に届いたよしださんからのメッセージに心救われる思いでした。
『今日はありがとうございました! また練習みていただいてもいいですか?』
『勿論、大歓迎です』
ゴチャゴチャ考えず、また練習させていただこう。
今は何一つ出来る気がしなくても、少しずつでも出来ることを増やして行こう──。
だって、タイヤが滑るほどの凸凹のオフロードで、自在にカーブを曲がれたらどんなに楽しいだろう。
そんな想像を巡らし、決意を新たにしたのでした。