アクセルグリップ握りしめ

オフロードバイク、セローと共に成長していく、初心者ライダー奮闘記

ライダーの在るべき姿~後編

今回の記事で前編中編を公開したところ、私の想像を遥かに越える反響が起こりました。

あたたかいお言葉を寄せて下さった皆様方、本当にありがとうございました。

 

 

私は件のお二人を、糾弾するつもりは一切ありません。

結局私は無事故で過ごせましたし、バイクも修理し私自身の怪我も治りました。

なのでこのまま、無かったことにしようと思っていたくらいです。

 

 

ですが、私は問題提起したかったのです。

『自分が楽しいと感じる危険な走りを、他人に強制する危険性』について。

 

 

 

アタック走行を望んでいない、その技量も経験すらもない人を酷所へと連れて行ったのは、『強制』以外の何ものでもなかったのだと思います。

 

『無理だと感じたのなら引き返せば良かったのに』という意見もありました。

でも、オフロードのただ中でたった一人で引き返すのは無理でした。何かあったら一人じゃ対処出来ません。

公道と違い、オフロードでは通行人も来ませんし、ロードサービスも呼べません。

あの状況では、例え自分の技量が伴わなくともグループについて行くしかありませんでした。

 

 

前編で話した『すり抜け』についてもそうです。

私はすり抜け行為そのものの是非を問いたい訳ではありません。

そもそも道路交通法でグレーとされている行為です。私なぞに白黒つけられよう筈がありません。

 

問題なのは、彼がすり抜けという一般的には危険とみなされている走り方を、初心者に拒みようのない状況で『強制』した事にあります。

 

 

彼と口論した事がありました。

彼からのすり抜け講習がほぼ終わった頃のことです。

 

『安全性を考えて、すり抜けは絶対にしない』と仰るライダーさんと私は出会ったのです。

その時私は、そんな考え方もあるのかと目から鱗が落ちる思いでした。

 

彼にその話をしたところ、

「すり抜けを、その人に教えてあげてください」

と言われました。

「え? 私よりバイク歴も長い人相手にそれは出来ないよ」

その時点で私はバイク歴たったの4ヶ月だったのです。

「自分さえ良ければいいんですか? 知っている側が教えてあげるもんなんです」

でも私は違和感を覚えました。

 

もしその人がすり抜けをしたいけれどやり方が分からない、と悩んでいるのなら話は別です。でも、安全性を考えてすり抜けはしない、と決めているのです。それは、その人の方針という事になるのではないでしょうか。

『教える』と言えば聞こえはいいのですが、それはその人の方針を曲げる行為、『強制』に他なりません。

 

「やらないと決めている人にすり抜けをさせて、もしその人が事故に遭ったらどう責任取るの?」

「そんな事まで考えなくていいんです」

「なんで考えないの? 危険な走りをする側がそれを強制したなら、そこまで考えるものなんじゃないの?」

「そんな事まで考えていたら何も出来ないじゃないですか。それより、バイクの醍醐味を教えてあげる事の方が大事です」

 

 

結局、彼とは訣別しました。

 

前編中編のお二人に共通している事があります。

それは、彼らは自分の乗り方がバイクの楽しさなのだと、信じて疑っていなかった点です。

『それこそがバイクの醍醐味』だと言い切っていました。

両者共に、危険性についてどんなに話しても一切通じませんでした。

自分の感じるバイクの楽しさを他人へ勧めるのが、彼らなりの優しさであり、信念だったのでしょう。

 

 

ですが、強制された相手がもし事故に遭い、不幸にも亡くなられてしまったらどうするのでしょうか。

相手の遺族を前にしても、『それこそバイクの醍醐味だった』と胸を張って言えるのでしょうか。

もし一生治らないような大怪我をさせてしまったのだとしたら?

経済的にも身体的にも、一生その人の面倒を見るつもりなのでしょうか。

或いはまた。

相手のバイクが大破するような事態になったら。

修理代を全額負担するか、新しいバイクを買い与えてあげるのでしょうか。

 

全て、NOだと思います。

もしそんな事態になったなら、やはり『自己責任だ』とそっと呟き、背を向け距離を取るのでしょう。

 

 

前編からここまで、私は自分を『初心者』だったと連呼して来ました。

それは初心者だったから優しく教えて貰いたかった、という意味ではありません。初心者と接するのは手に負えない、或いは面倒ならば、関わらないという選択をするのは別にいいと思います。

でも彼らは自分の流儀を、危険な走り方を、初心者相手に強制しました。

 

 

 

私は仕事の面でも他の趣味の分野でも、積極的に人からのアドバイスは取り入れます。

自分の考えとは違うアドバイスなのだとしても、とりあえず取り入れてやってみるのです。それがきっかけで成長出来る事もありますし、失敗から学ぶことだってあります。

でもバイクの分野でそれをしていたら、取り返しのつかない事態になりかねないのだと感じました。

 

 

 

 

「いつもまったりツイート、のんびりブログなのに、この騒ぎは一体どうしたの?」

 

今回のこの騒ぎを見て、仲のいいライダー仲間さんから聞かれました。

らしくない、と自分でも思います。

ふだんは無情なくらいの事勿れ主義なのですから。

問題提起をしたかったから、と答えようとしましたが、口から出てきたのは違う言葉でした。

「それは…後悔したくなかったから」

 

 

 

問題提起?

それが難しいのは分かっています。

前編中編に出てきた二人にいくら訴えかけても聞き入れて貰えなかったように。

バイク界隈に一定数いる同じような方々にも、私のこの主張など一笑に付されて終わりなのでしょう。

 

そもそも私のような無名ライダーがどんな主張をしたところで、世の中が変わるだなんて思ってもいません。

 

 

だけど、もし──。

他の初心者ライダーさんが誰かの『強制』により不幸な事故に遭ってしまったら…

 

 

私は何もしなかった、と歯噛みしてしまうでしょう。

そう。

もしかしたら私にも何か出来たかもしれないのに。

たまたま私はやられた側の経験を持ちました。なのに、我が身可愛さにそれを黙っているのは卑怯な気がしました。

やられた側だから声を出せる。

やられた側にしか声は出せないのです。

なのに自分は何もしなかった。

そう思いたくはありませんでした。

 

 

 

自分が楽しいと感じられる走りを、同じ価値観の仲間同士で楽しめるのはとても素敵なことだと思います。

ですが、その走りが危険なものだと認識しているのなら、それを望まぬ他人にまでは強制すべきでないと思うのです。

 

 

楽しいと感じる為には、『安全』であることが絶対条件。

少なくとも私はそう思います。

 

 

 

願わくば──。

 

全てのライダー達が、安全で楽しいバイクライフを送っていけますように…

 

 

読んでくださった皆様方。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。