縁あってオフロードバイクに乗っているのですから、せっかくならオフロードを走りたいと考えていました。
でもヨシさんのバイクはアメリカンです。
オフロードに付き添ってもらうわけにはいきません。
初心者が、まして女性が、一人でオフロードに入るのは絶対にダメだと誰しもが言っていました。
私がTwitterではなく、地元ツーリングクラブでオフロード仲間を得ようとしたのは、新型コロナウィルスの影響からでした。
二輪免許を取得してわずか3ヶ月後から、かのウィルスは蔓延を始めました。
その時点で、Twitterでの初心者向け林道ツーリング企画にも参加させて頂きましたし、あきにゃんさんから御荷鉾山にも連れて行ってもらっていました。
ですが、コロナの猛威によりやがて県境を越えた移動は自粛ムードになり、遠出や大人数での企画には制限がかけられたのです。
しかも、収束はいつになるのか先も見えません。
『初心者向け 林道ツーリングクラブ』という地元サークルメンバー募集のサイトに目が止まったのはそんな時でした。
しかも、並べられたセローの写真が載せられています。
こんなサークルでなら、近場の林道でまったりとツーリングが出来るのではないかと思ったのです。
何より、同じセロー仲間達がいることに惹かれました。
私はすぐに連絡を取ります。
代表者のTさんは、オフロード歴30年というベテランライダーでした。
私のまだまだ浅いバイク歴とオフロード経験のなさを伝えた上で、こんな私でも参加出来るかどうかを訊いてみます。
「勿論です! 激しめのアタック走行する人達とは分離したばかりなんで。一緒にまったり、林道ツーリングを楽しみましょう」
Tさんからそう返していただけて、とてもホッとしました。
新しい仲間や頼れる先輩方がいてくれる環境が得られたことを、とても幸運に感じたものです。
そうして林道ツーリング初参加の日──。
私は何度も何度も転倒しました。
今まで参加した林道ツーリングではフラットなダートばかりでした。でもそのサークルで走る道はどれも難易度が高く、自分のバイクを制御出来なかったのです。
バランスの取り方、アクセルの開き方、ブレーキの掛け方や立ち乗りでのギアチェンジに至るまで、オフロードを走る上で必要な基礎技術が、私には全く備えられていないことを痛感しました。
──もっと上達したい。
もっともっと練習して、オフロードも自在に走れるようになりたい。
その時は素直にそう思えました。
違和感を抱き始めたのはサークル内でのグループLINEのやり取りです。
Tさんの言動が徐々に怪しくなっていきました。
『練習は各自やっておいて下さい。一人一人の面倒までは見きれません。特に、レベルが低いと自覚のある方』
『走るのが林道では面白みがありません。いずれは皆さんにもアタック走行が出来るようになっていただきます』
正直、話が違う、と思いました。
一人でオフロードに入って練習出来るのでしたら、私もわざわざサークルには入りませんでした。なのに、そのサークル活動の為に自主練しておくようにと言われたのです。
そして、林道ツーリングのサークルを名乗りながら、走りたいのは林道ではなく、山岳の道なき道だと言っています。
初心者歓迎でなかったどころか、林道ツーリングクラブですらもないようでした。
ですが、ここで去るのは負けた気がしてしまったのです。
辞めるのだとしても、せめて少しでもオフロード走行を習得してからにしたい──。
そう思い、次の活動に参加しました。
そして、とてもじゃないけど走るのは無理だと感じる場所へと連れて行かれたのです。
「あの、すみません…。私には難しいかと…」
小さく手を挙げ、恐る恐る私がそう言うと、Tさんは不可解なものを見るように私を一瞥し、
「走ってみなければ分かりませんよ」
と返してきたのです。
そうしてTさんが走り出し、他のメンバーも続いて行きます。
どうしよう、と思いながらも、私も付いて行くしかありませんでした。
結果、大きな陥没と不安定に敷き詰められたガレキとにタイヤが滑って転倒し、したたかに身体を打ちつけました。
その時私の肋骨にヒビが入り、セローのフロントブレーキも故障してしまったのです。
セローは修理に出すことになり、私自身も二ヶ月間は痛みに耐えることとなりました。
ですがその時点でも、自分の力量のなさを反省こそすれ、それを誰かのせいだと責める気持ちは起こりませんでした。
Tさんの言う通り、もっと自主練すべきなのかもしれないと反省すらしたくらいです。
決定打となったのはまたしても、サークル内でのグループLINEででした。
その翌日、メンバーの一人が私の具合を尋ねてくれたので、私は上記状況を説明します。
重ねて言いますが、その時の私には誰かを責める気持ちなど毛頭ありませんでした。
ですがTさんはあからさまに不機嫌になり、長文を連投し始めたのです。
『ですから、練習は各自やっていて下さいと言ったんです。サークルは集団行動です。レベルの低い人に合わせて走ることなど出来ません』
『怪我も事故も、全ては自己責任です。登山だって集団で登るのだとしても、各自で登山保険に入りますよね? 遭難に遭ったからってリーダーが一々責任取りますか? 取らないですよね。バイクもそれと同じです』
『初心者には厳しいのでは? という意見も出ましたが、あえての厳しい道に連れて行きました。フラットダートをちんたら走っていても、いつまで経っても成長なんてしないからです』
『私だって、このレベルになるまでは色々ありました。今も手首を骨折していますし、バイクの故障だってしょっちゅうです。でも、それを恐れていては先へは進めません』
そうして、こう結論づけたのです。
『恐怖を乗り越えた先にこそ成長があります』
と。
~を乗り越えた先に何かがある、という理論。
最初にバイクを教えた人も言っていました。
流行っているのでしょうか?
今なら笑い話ですが、当時の私は怖くて怖くて仕方ありませんでした。
そう。
心の底からバイクが怖い、と初めて感じました。
事故や怪我は勿論ですが、何よりバイクを通じて関わる人達が怖くなってしまったのです。
甘えなのかもしれませんし、覚悟がないと言われればそれ迄です。ですが私は、愛車セローを壊したくなんてありませんし、私自身も怪我をしたくはありません。ましてバイクで死にたくなんてありません。
でも、一緒に走った人がもし『それを覚悟しろ』と言うのでしたら、そこに合わせて走り続けるしかないのです。
そのサークルはすぐに抜けました。
ですが自分の中に傷痕が残ってしまったのです。それは棘のように心に刺さり続けました。