10月3週目の日曜日の早朝、私はヨシさんと連れ立って東名高速道路を下っていました。
「電熱線着てきて正解だったわ」
ヨシさんがしきりに言っているように、つい先日までの残暑はどこへやら、冷たい風が容赦なく吹き付けて来ました。
「ちうさん大丈夫〜? 寒くない?」
「うん大丈夫。…ギリギリ」
電熱線ジャケットなどという高価なものなど持ち合わせていない私は、確かに寒さを感じていましたが、震えが来るとか手がかじかむとか、そこまでのレベルでもありませんでした。
とはいえ身体は冷たくなっていたので、立ち寄ったPAでの朝食は温かいお蕎麦にします。
新静岡ICで降りて給油を済ませるや、いよいよ峠道へと入っていきます。
県道27号線『井川湖御幸線』です。
「ここ、川沿いを進んで行くみたいだよ」
「そうなんだ?」
ヨシさんの言う通り、『中河内川』に沿うようにして走って行きます。
「ヨシさんごめんね、結局ルートを全部考えて貰っちゃって」
「いいんだよ」
静岡の『寸又峡』に行きたいとヨシさんに持ち掛けたのはひと月ほど前のこと。
余暇に漫然と地図を眺めていると惹かれる地形があり、それが寸又峡だったのです。
せっかくヨシさんが乗り気になってくれたというのに、私は企画を練る時間が中々作れずにいました。
ヨシさんが給油場所から絶景ポイントに至るまで、今日の細かなルートを考えてくれたのです。
「おっ、また滝だ」
「ホントだ〜」
名もなき小さな滝が、道脇のそこかしこで見られました。川に沿って走るこの道ならではの光景なのでしょう。
「ちうさん、茶畑だよ」
「わっ、本当だ。写真撮っていい?」
「いいよ〜」
ヨシさんが道端にバイクを停車したので、倣って後ろにセローを停めます。
「茶畑も、静岡ならではの光景だよね〜」
言いながらカメラを構えます。
走り出して『井川ダム』に寄った後、バイクに跨り準備をしながらヨシさんが言います。
「実はもう一つ吊り橋があるみたいだから、そっちに行こうかと思って」
「えっ、そうなんだ?」
「そう。小さな吊り橋みたいだけどね〜」
私が寸又峡に惹かれた理由の一つに、『吊り橋』の存在がありました。
寸又峡には有名な吊り橋があり、それが観光名所となっていたのです。
吊り橋を渡る時の揺れや軋む音、景色や大自然に共存しようとする人間の営み等、様々なものが感じられるので、私は昔から吊り橋が大好きでした。
ところが、吊り橋は人里離れた所にあるのがほとんどです。
電車とバスとを乗り継いで行くことが出来るならまだ幸運で、それすらもない所にあるのが大多数。
車も持たなかった私にとって、吊り橋のある場所に赴くことなど夢のまた夢だったのです。
ですが今は、バイクを手にしたことで自在に行けるようになりました。
県道60号線『南アルプス公園線』を進みます。
やがて『夢の吊り橋 入口』の看板が出ますが、「こっちから降りると、かなり歩くことになるらしいから」とヨシさんはそこを通り過ぎました。
そこから山道を進み、「この辺りだ」と言ってバイクを停めます。
見ると、道脇の草木が途切れた箇所があり、そこが入口となっているようです。覗き込むと舗装もされておらず、一見ただの登山道のようでした。
「ここ、ちゃんと行けるのかな?」
不安になってしまいます。こんな細道は行き止まりになっている事が多いのです。
ちょうどそこから出て来たご夫婦の方に、
「ここ、行けますか?」
と聞いてみます。
「行けますよ。でも道はキツいですよ〜」
息を切らしながら笑って応えて下さいました。
ご夫婦にお礼を言って、その細道を歩き進めます。
傾斜のキツい砂利道に、
「ちうさん、転ばないよう気を付けて」
と言われました。
「うん、大丈夫…」
言ってる傍から足元の砂利が流れて、滑りかけます。音を聞きつけたヨシさんが振り返りました。
「大丈夫?」
「うん大丈夫、ちょっと滑っただけ。転んではいない」
「ちうさんてセローに乗ってる時より、普通に歩いてる時の方がよく転ぶよね」
「…」
やがて見えてきた吊り橋の姿。
井川の『夢の吊り橋』です。
大井川の支流を跨ぐ形で架けられたその吊り橋を、私は噛み締めるようにして渡りました。
渡っている途中で眺める景色も美しく、風も気持ち良かったです。
橋の真ん中で、
「わぁ〜! 景色綺麗だね、ヨシさん」
と振り返ったら、ヨシさんの姿は遥か後方にありました。
「ちうさん…。早いよ」
渡り終わったヨシさんからげんなり言われたので、笑って謝ります。
「吊り橋好きのちうさん、この橋はご満足いただけましたでしょうか?」
バイクの元に戻り、出発の準備をしながらおちゃらけたようにヨシさんから問われました。
「うん、とっても! ヨシさん、調べてくれてありがとう」
来た道を引き返して行きます。
県道388号線に入って行くと、やがて大井川鐵道『奥大井湖上駅』が見えて来ました。
別名『秘境駅』です。
「こっちに入って行くと展望台があるみたいだよ。行ってみる?」
ヨシさんの問いかけに、私は「勿論」と応えました。
そうして入った道は細く苔むしており、所々に砂利も散らばっていました。
拳大の石が唐突に転がっているので、路面に注意しながら進みます。
「ここが展望台みたいだよ」
展望台というよりは、少しだけ拓けた場所という感じではありましたが、広がる景色は美しいものでした。
駐車場にバイクを停め、矢印の方向に歩き始めます。
最初は気ままにお喋りしながら歩いていたのですが、段々と不安になってきました。
「あれ? まだ先…なのかな?」
「う〜ん…」
ですが人の流れもあるので、間違ってはいないようです。
「結構距離あるんだねぇ」
そうして、ようやく吊り橋が見えて来ました。
「わぁ〜! すごいすごい!」
こちらが寸又峡の『夢の吊り橋』です。
先程の吊り橋と合わせると、本日二本目の『夢の吊り橋』となります。
吊り橋の規模もさることながら、その造りといいロケーションといい、全てが最高でした。
渡る人達の様子を見ながら、順番を待つ私のボルテージはどんどん上がってきます。
順番が来たので、高揚しながら吊り橋を渡り始めます。
足幅サイズしか歩ける所がありません。橋の下にネットも張られてはおらず、踏み外したら片足が完全に落ちてしまいます。
先程の吊り橋よりも長さがあるため揺れも激しく、なのに掴まれるような手摺りなどなかったので、体勢が不安定でした。
それでも。
「景色綺麗だね〜! わぁ〜結構揺れる〜」
後ろのヨシさんに振り返りながら話し掛けましたが、またしてもヨシさんの姿は遥か後方でした。
辺りを見回します。
橋の真ん中から眺めた景色は、息をのむほどに美しく。
たゆたう大間ダム湖の水面はエメラルドグリーンに輝いていたのでした。