八幡岬公園は、勝浦湾の東側に突き出た細長い半島にありました。
三方を海で囲まれた要害であるこの地には、かつて勝浦城があったそうです。
駐車場にバイクを駐輪させ、公園内の散策です。
鳥居をくぐり、祠に手を合わせます。
見晴らしの丘に立って断崖の上から海を見下ろしました。
「この後どうする?」
私が問いかけると、
「そうそう。ちうさん、『千葉フォルニア』って行ったことある?」
「えっ、ない」
聞いた事もない場所でした。
「じゃ、そこに行ってみよう」
「うん」
駐車場へと戻りながら、自然の散策路という道があったので、そちらを歩いてみます。蜘蛛の巣を払い、倒木をくぐり抜けて進みました。
ちょっとしたアトラクション気分に、笑い声が零れます。
バイクの元に戻るや出発です。
またも和やかな道を走り進めます。
日が傾いて来たのか、太陽が紅色に変化しつつありました。
私はその光景にひっそりと感動しながらバイクを走り進めます。
「なんか…。走りながら撮れるカメラが欲しいかも」
不意にそう思ったのです。
「カメラって、GoProとか?」
「うん…」
道の両側に広がる段々畑が、遥か向こう側にまで広がっています。
風はそよぎ、深い緑の香りが鼻腔をくすぐりました。
なだらかなワインディングはどこまでも続き、ヨシさんを乗せたフューリーがその上を滑らかに走り抜けて行きます。
フューリーは柔らかな陽の光を浴び、長い影を伸ばしていました。
今見ている光景を残したいなと思ったのです。
「でも、撮った映像を後で見直しても、きっと今味わっている感動は得られないんだろうなぁ」
肌で感じる風の気配や陽射しの柔らかさ、匂い、そして内面の感情までは、とても記録には残せません。
だから私はこうして文字に認めているのでしょう。
見たもの全て、感じたこと全てを残したくて。
私がそう言うと、
「うん、なるほど。いい方法だと思うよ」
ヨシさんが頷いてくれました。
もう一度深呼吸をして、今のこの走りを充分に堪能します。
しばらく進むと、雲が重なり厚くなって来ました。
嫌な予感がします。
「あっ、光った」
「ホントだ」
一瞬だけ、空がピカっと光ったのです。
「今の雷だよね?」
私が聞くと、
「そうだね…。ヤバいな、ちょっと停まれそうな所があったら停まるね」
とヨシさんが返します。
屋根のある所にバイクを停めた直後、激しい雷雨に見舞われました。
私とヨシさんは今度こそ上下共にしっかりとカッパを着用して雨に備えますが、さすがにその豪雨の中外に出る気にはなれず、しばらくそこで雨宿りします。
「あと20分もすれば止む筈だよ」
ヨシさんが雨雲レーダーを確認しながら教えてくれました。
「でもこの雷雨が収まったとして、帰る方向に大きな雨雲がかかってるんだよね」
「う〜ん…」
今までは、雨雲から逃れるようにして走って来ました。でも帰る方向とあらば逃れようがありません。
私は覚悟を決めます。
「うん、仕方がない。濡れちゃうのは諦めよう」
「そうだね」
雷雨は、本当に20分弱で去ってくれました。
今のうちにと、出発します。
数分前まではなかったはずの大きな水たまりが、道路のそこかしこに出来上がっていました。
やがて千葉フォルニアに到着します。
すっかり日が沈んでいました。
『千葉フォルニア』をテーマパークか何かと勘違いしていたのですが、道に南国調の木々が立ち並ぶ、フォトスポットのようでした。
そこにバイクを並べて写真を撮ったら、確かに映えそうだなと感じます。
ですが、道脇が水たまりになっていたのと、雨のせいで景色が霞んで見えなくなっていたのとで、そのままそこを素通りします。
「また来よう。今度は天気のいい時にでも」
ヨシさんがそう言ってくれます。
「うん」
また来ようと思える場所が出来るのは、とても素敵なことだと思いました。
アクアラインに入る頃には、完全な本降りとなっていました。
「…ねぇ、また空が光ってる」
「だねぇ」
そう、またも雷が発生していたのです。
「これ、落雷したらどうなるの?」
「…さぁ?」
私の問いかけに、ヨシさんも首を傾げます。
「車だったら平気らしいけど、バイクだと身がむき出しだからなぁ」
「避雷針とかはあるんだよね?」
「それはある筈。でも近くに落ちたら電流は流れて来ちゃうだろうし…。いや、タイヤはゴムだから平気なのか?」
ヨシさんも考え込んでしまいました。
「でも、そのタイヤも雨で濡れちゃってるし…。う〜ん、どうなんだろうね?」
何れにせよ、雷が直撃しなかったのだとしても、落雷しただけで危険なようでした。
「まぁ、いざとなったならヘルメットしてるから大丈夫でしょ」
私の投げやりな楽観的発言に、ヨシさんが吹き出します。
落ちるかどうかも分からない雷に怯えるよりも、今はこのツーリングを楽しみたいと思ったのです。
この日東京湾では、次々と雷雲が発生していたようでした。
列をなした車輌のヘッドライトが、パレードの行進のようでした。
そこへ、雷鳴と共にハッキリと稲妻が光ったのです。
「うわぁ…」
その時私が感じたのは恐怖心でも不安感でもなく、森羅万象への憧憬と敬慕でした。
夜空を切り裂き瞬く稲妻が、あたかも打ち上げ花火のごとく美しく魅惑的に思えたのです。
稲妻が起こるたび、東京湾と夜景に煌めく大都会の街並みとが、昼間と見紛うばかりに明るく照らし出され、一瞬後にはまた夜色に染まります。
その様にすっかり魅せられていました。
「ねぇねぇ。私、雨のツーリングも好きかも」
「へぇ〜、それは…」
ヨシさんはしばし言葉を選び、
「変態だね!」
「あはは、それは間違いない」
頭上では再び稲妻が走ります。
あれが直撃したら、私なんて一溜りもないんだろうなぁ──。
何処か冷静にそう思っていました。
自然の脅威の下では、人一人の存在などちっぽけです。
まして、身体むき出しで乗り回すバイクなど。切ないくらいに無防備なのでしょう。
それでも。
それだからこそ、ライダー達は走り出さずにはいられないのかもしれません。
埋没してしまう日常と、ともすれば狭まりがちな自我の世界から脱却する為に。
「あ〜、明日からまた仕事かぁ」
思わず声がこぼれます。
走り出さずにはいられなかった、このたった一日の休日──。
様々な表情を見せ、忘れがたき体験をさせてくれた今日のこの空に、目一杯の感謝の念を抱きました。