あ、江ノ電だ。
ミラーを確認すると、後方から江ノ電こと江ノ島電鉄の車両が近付いて来ているのが分かりました。
国道467号線。
そこは街中を走る江ノ電と一般車両とが一緒に走る道路なのです。
どうしよう、と一瞬考えます。
これまでにも江ノ電と並走した事はありましたが、すぐ手前の箇所ではレールと一般車両の道とが交差されていました。
私はこの道が、電車優先なのか一般車両と同じように走っていいのか、その判断が付かずアクセルを緩めました。
と、途端に後ろの乗用車から煽られてしまいます。
あ、行ってもいいんだ?
どうやら走っている順で進んでいいものらしいと分かり、私はすぐさまアクセルを戻しました。
国道134号線に入ると、綺麗な青空と海が広がっていました。
何度も走って来たからでしょう。この道に来るとホッとします。爽やかな潮風を受けながら滑らかに走り抜けます。
道を折れ、何の変哲もない住宅地に入り込みました。
そこは車通りも殆どなく堤防も低いため、海を背景にバイク写真を撮るのに最適なのです。雪山の富士山も見えました。
ひとしきり愛車の撮影会を終えると、本日の目的地へと向かいます。
その美術館は、有難いことにバイクの駐輪は無料なのです。
セローを停めるや、バイク装備を外していきます。
そこで気付きました。マスクを忘れて来てしまったのです。
まぁ、大丈夫かな?
一時期に比べマスクは自主性に任せられるようになりました。マスク無しでの入館を断られることはまずないでしょう。
清潔なロビーを抜けると、企画展のチケットを購入します。
『移動するモダニズム展』。
好きな画家さんの出展もあるので、是非観に来たいと思っていました。
数々の展示作品をじっくりと観て回ります。
妖艶なものから日常のコミカルな一場面、凄惨な光景まで。様々なジャンルの作品が展示されていました。
関東大震災がテーマの作品では、瓦礫に埋められ苦痛に呻く人々の姿も描かれています。
どうなんだろう?と私は首を傾げました。
震災と言えば東日本大震災、もしくは阪神淡路大震災を思い浮かべます。
もし今、その震災で苦痛に喘ぐ人々を描き、『作品』として売り出すアーティストがいたなら。現代ならば世間から『不謹慎』との謗りを受けるのではないのでしょうか。
この時代は今とは感覚が違ったのかもしれない。そう思うと、そこにも年代差を感じてしまいました。
観覧が済むと、庭園を散策します。
海辺に建てられた美術館の為、庭園からは砂浜と海が綺麗に見渡せます。
私はベンチに腰掛け、ふぅ、と息を吐きました。
暑気あたりという言葉がありますが、熱気のようなものにあたったような独特の疲労感がありました。
思えば、それほど時間が経過した自覚もなかったのに二時間近くも観覧していたのです。
今日この後どうしようかなぁ?と考えますが、この疲労を伴ったまま走り続ける気にはなれませんでした。
気ままに走り出せ、自分本位に中断出来るのもソロツーリングのいい所です。
今日はこのまま帰ることにします。
バイクに戻るや外していた冬用装備を身に着けます。
ナビを自宅にセットするや、来た道を戻り走り出しました。
ビーチと言えば、冬は閑散としているイメージですが、湘南の海は年中賑わっています。
サーファー達が波乗りを楽しんでいますし、親子連れやカップルと思しき人達が砂浜を散策している姿も散見されました。
平和な光景だなぁと感じます。
走りながら、先程観て来た展示作品のことを考えます。
明治から大正、昭和初期にかけて。
まさに、激動の時代とも言えるでしょう。
政治経済の変遷と共に人々の生活様式も大きく変わり、そしてそれは芸術作品にも多大なる影響を与えていきます。
それまでの芸術の在り方そのものが見直され、日本の芸術家達はこぞって海外に出帆し、新しい表現技法を習得していきました。
時代の変遷。
平成から令和に元号が変わり、もうすぐ6年が経とうとしています。
明治大正の頃と比べれば、平成から令和への移行など、さほどの違いがあるようには感じられませんでした。
ですがよく考えてみたら。
侵略戦争が勃発し、物価が高騰しました。税金と社会保険料も上がり、年金の受給額もどんどん下がってきています。
そして、新型コロナウィルスの蔓延。
思えば、あの美術館も。
初めて行った時にはコロナの影響で臨時休館となっており、庭園を散策する事しか出来ませんでした。
今日、マスクなしでも問題なく入館して観覧出来たのは、当時からすれば考えられない変化でしょう。
暗いニュースばかりが目立ち、人々の生活は苦しく、現代は決して明るい時代とは言い難いのかもしれません。
それでも私は、飢える事も凍えることもなく生活していけています。
それどころか、こうしてお天道様の下で趣味のバイクを楽しませて貰っているのです。
人の欲望には切りがありません。
衣食住に恵まれていても、ブランド物に目が眩み、煌めくアクセサリーを欲したりもます。どんどん進化していく電子機器類は最新の物が出る度買い替えたくなり、またプロの作る料理に舌鼓を打ちに行きたくもなります。
美酒に酔い、スケジュール帳を埋め尽くすように華やかなイベントに参加し、同じ世界に身を置く人達との交流をはかる。そんな生活は確かに充実していると言えるのかもしれません。
ですが、ふとした拍子に考えてしまうのではないのでしょうか。
『一体自分は、いつになったら幸せになれるのだろうか?』と。
本当に大切なものは、際限なく湧き上がる欲望を満たし続ける工程からは、決して得られないのだと私は思います。
そう。
ブランド物のジュエリーよりも、愛する者からのたった一輪のカーネーションの方が、はるかに重みがあるように。
『足るを知る者は富む』
昨日に続く今日がある。
たったそれだけの、その当たり前の日常に、私は感謝し続けよう。
そう思いながら、軽快にセローを走らせていったのでした。